能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 10

ページ: 10

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中比ゟ此所に在住をして今も諸役御免也初は かすかなる住居にてありしに次第に栄て家居 よて並立て百軒余有肝煎壱人役人壱人あり 夏中は番頭の者留守居壱人残し不残拾八里 沖なる重蔵嶋といふに渡り辺の小嶋又七里此 方の七ッ嶌抔をかせきて多く蚫の類ひ海草を 取て九月になれは戻り来る也是も昔あさま成 小屋をして有しに今は嶋よき家居立てあり 重倉明神社ありて美々敷神輿抔ありて 御幸の祭礼有神主は鳳至町浅井氏寺は同所宝蔵寺 旦那にて神主も寺も夏中は引越有よし此嶋 共は昔は輪嶋の領なりしに中比《見せ消ち:輪|論》有少し近き故 岩舟村の領分に成しなり海士は今も渡りかせく也 御上へ運上は白銀拾三枚上納する也往古より此輪 嶋に蚫を取と見へて中納言家持卿の長哥に   すゝあまの    おき津かみに   いわたちて   かすきとるといふ あわひたま    いほちもかも 七ッ嶋舳倉嶌の委き事は名舟村の所に記す