能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 9

ページ: 9

翻刻

をは畠中のおもやといふより出せり又此祭礼の斉に 行抔とは吉龍寺とて浄土真宗の寺より出せり 此寺始は期院にて奥の道場といふてありし時の事 にて産処の《見せ消ち:斉|齋》と貰給ふよりといへり九字切なわ ひかへ綱等は時の役人中なへり其時用ひし水は御手洗 の井とて今町中にあり又腰懸給ふ石とて馬場 といふにあり賦夫ゟ鷲蔵宮の社地をかり跡をたれ 給ふより重蔵宮と書由此の旧式由《見せ消ち:本|来》の事いかにや 此外祭礼七拾度余あり又浜の薬師とてあり此 尊像此社内に有しを近比社外へ移しけり春日 の作にて霊験あらた也境内に比丘尼松とて枯木 あり若《見せ消ち:狡|狭》の白比丘尼の植し枩也又大鳥居の向に 見ゆる諏訪山とて明神の社あり此枩山続き風 景類ひなし惣して河合町は住吉諏訪弥勤と て氏子三ッに別て小祭礼あり 又海士町は鳳至町の西輪嶋崎の間にありむかしは 筑前の国より夏毎に来て此沖をかせきしに