能登半島の資料を翻刻!

コレクション: SHOSHO「能登」

能登名跡誌 - 翻刻

能登名跡誌 - ページ 43

ページ: 43

翻刻

立去りけるを是則時忠卿重代の烏丸の太刀の 勢なりとて此鳥の行泊る所を館にせんとて 半道山の奥に掘構抔たくましく館の跡あり 則時忠卿の子孫とて則定惣左衛門といふ一軒百姓 館跡にあり家後に時忠卿の古塚あり其外に 其頃弄ひ給ふ器財抔揃へり其烏の出し川を今 も烏川といへり又此村に此郷の筋目とて実名 を家名に呼ふもの十弐人あり頼兼頼光頼政兼 政政頼友安友吉助友吉盛国吉助光則定是を大 谷の十弐名といふ中にも頼兼は山廻り役にて大納言 利家公の御墨附御扶持を頂戴あり又吉盛と言 者家敷に穴蔵ありて内に拾弐領の具足ありと いへり惣して能登の国義経の奥州へ下給ふ 時此国に立給ふは此時忠卿と義経には知縁有て 態々時忠卿の配所訪ひ給ふ故也依之能登に 義経の旧跡多し      時忠卿の塚にて   諸人の涙の種や苔の花