翻刻
又此大谷に元弘の頃日野大納言資朝卿の一子阿(クマ)
新(ワカ)丸の旧跡あり此阿新丸佐渡国にて父の本
間の何某を射て逃しに追手懸り難義に
及しに山伏修行者に助られ危き命をこらへて
則此国へ着船して此大谷に世を遁れてあり
しとて其守り本尊抔助度といふ百姓の家に有
其時の山伏は三崎権現にてありしといへり大平記
抔には阿新丸の此国へ渡りし事見へす併し
実説にや阿新丸は出家ありて行法有しとて
大谷馬緤の山中に其旧跡あり今も日野道とて
草生せす有
又馬緤村浜伝ひ大谷より村て続き壱里ある村也
大間鰐崎泊りとて小名あり三ヶ所に家有
御塩蔵も三ヶ所にあり此村にも馬緤の七名
とて七人家名に実名を呼し者ありしに中頃
いつれも退転して 一両人残り有由これは
阿新丸の筋目の者なりしと いへり惣して此
処馬緤村といふは義経の馬を繁き給ふゟの