翻刻
事よ是より南の川原に行へくや尤津波のほとも恐しけれは
五台山の山にのほるへしやなと尓来の睦しさにうらなくしめし
合する中又ゆり来り高塀倒れ打れぬ二人即死にて一人蘇
生したるが人に語りて後々まても恐れしと也
再云方丈記《割書:加茂長明|筆記》に云元暦の頃大《ルビ:地震|ナイ》ふる事伝りき
其さま常ならす○其中にある武士の子の六七計に侍り
しか築地のおほひの下に小家作りてはかなけなる跡なし
事をして遊ひしか俄に崩れ埋られて平ラに打ひさがれて
二の目なと一寸計打おされたるを父母かゝへて辨もをします
悲しみあひて侍りしこそ哀れに悲しく見侍りしか
子の悲しみには猛きものゝふも恥を忘れけもをおほへて
いとをしく理り哉とそ見はへりしと有同一談なりき
○蓮池町に浪人医有男児を下婢に負せ他行させしか道にて
土蔵にうたれ埋れて死す間もなく火災と成給れは其父翌
朝尋ね来て屍を掘出しけるに子は両手をして下女か首を
〆下女は又両手を子か背に廻し力を入負たる侭死ても不放
人々しひて引分人とするを父か留めていふ将ニ双方実に余儀
なき事也小児は何心も有ましきに下女か一心不乱に背負て
ゆるまさる忠心見届たり仍て主従合葬を評す也と云付て
其侭始末しけると也哀れなりける最期なる哉