翻刻
是そ真の不幸といふへし父の心はいかに有つらん子を持てる親の
忘るましき話也き
〇新市町の横丁に老婦潰家に敷たり其嫁小児を抱きなから
走来りて我も侭に死せんとて泣|叫(サケ)ふ姑我はかく打れて叶は
されは其孫を頼む程に早々迎て呉よといへともいつまても見す
つる事なし火来りなはとかく焼死なんとて泣叫ふ其意
天通やしたりけん人々集り来り老婆を掘出しけれは三人共
難を免しとかや是嫁なる者の孝の徳によりて也けり
〇農人町の下に九十余歳の爺有是も嫁なる者背負て遁んと
いへとも老ひかみ承引せす色々機嫌を取中家潰れぬ
土木を仕のけて見れは嫁は拙老に組付たる侭にて俱にうたれ
死たりとそかゝる期に至りて心を変せさるは平常の孝心おも
ひやるへし又母を打せて其子は無事なるが自然世の治り己屋
住してつらくおもひめくらし我大変と恐れしあまり不覚にて
母親を失ひたり今は世間に長らへたりとて生甲斐もなく又
人前もならす仍而覚悟可極ほとにゆもふ也と親友に語りけれは
友の云様尤千万なれとも親の敵は地震也以来地震に迫り遁
たらは敵を討て遺恨をはらすへしと嘲哢せられしと也是
おもしろき嘘なりけりと風聞也心有へき事とも也返々も心得
有へき事にて懲悪の基本ならすや