翻刻
尤大晦日の大震には隙にありしかおもはす転ひたりしに
いさゝかも怪我もせさりし家族共も転ひし事なくある人云
震中足早に走れは転ふものにあらすといへとも何分足元は
老壮のけちめもあるへし
○又旧記に大地二三尺割レ水湧出或ハ四五尺已れ泥水を吹出しと
あれとも是又此度の震は宝永ゟ軽きゆへ市中にハなし尤中島丁
二ヶ所の溜池の傍二尺計割たり又松か崎稲荷前ゟ東同断
其外に江ノ口潮江に多しと云下知南の丸堤両方へ裂六尺程も
割たり就中布師田橋ゟ東の堤双方へひらき大に已れ同村
の沖に新屋敷と云有此地割甚敷土蔵片軒割に落入しも有
と也是埋地の新屋敷なれハ成へし
○去冬大震以来甲浦を初東灘の湊ハ浅くなり下灘の港は
深くなりたりと云震にて地の高下する事ありと聞左のことし
再云宮崎高門《割書:竹|助》筆記ニ文化五年戌辰予測量使《割書:伊野|勘解由》
ニ随従ス宝永四年ノ変東ハ地高クナリ西ハ低クナリシト云
談ニ及使答曰地ノ高下スルコト国々ニ多シ怪ニ足ス且南北ニ
海ヲ受タル国ハ漸々ニ濵デキテ海地トナリ北西ニ海ヲ受
タル国々ハ濱滅テ地海トナル吹上ノ地紀伊ノ国人ノ知ル
所其他諸所ニ多シト云奇談ナレハ記スト有
○宝永の震記数冊を参考するに只一旦の変事のミを記して