翻刻
幾年ありて治したりし事見えす儒臣宮地氏か日記に云
宝永四丁亥九月三日巳刻地震同十月四日未の刻大地震古今とも
未曽有〇同五年戊子正月元旦地震に今時々有〇同六年己丑
三月十一日卯刻地震 稍(ヤゝ)大也四月廿二日酉刻地震頗大也同戌
刻又大也十一月廿二日酉子刻地震〇以下闕巻となりて不分と有
されは三年止むざりし事證とするに足れり潮も三年を経て
治定せし事物には見へされとも相違なかりし事田野浦住
福留某波浦の伝説なりとて語りぬおもふに震も潮も同一萬
の動物なれは此伝説よく符号すへしされは今震も来
丙辰に至治定すへし往々頭書に記さんとおもふのみ《割書:本文日記中|小震の分略す》
因に云地震の和名をないと云佐渡国にては今もない
ふると云由は追加に出せる地震考に見ゆ当国にてもないと
いふをなやと誤りて宝永の頃までいひし事左のことし
〇柏井難行録《割書:宝永の|変記也》に老祖母謂て曰是なやといふもの也
かゝる折は藪中に入事也とて家族共北の藪中に入ぬ々々と有
〇又ないと読たる古歌《割書:日本紀十六武烈|天皇御巻前文略》
於弥能姑能(オミノコノ)耶賦能之魔柯枳(ヤフノシハカキ)始陁騰余瀰(シタトヨミ)
那為我與(ナイカヨ)釐拠魔(リコハ)耶黎夢之魔柯枳(ヤレムシハカキ)
《割書:契仲云よとゆと通音なれはよりゆは|ゆりこはなりと日本紀歌解に見へたり》
〇又口碑に伝ふる俗歌
六ひてり五七は雨よ九はやまひ四と八とは世の騒き也かと
【上欄外の余白】
再云辰巳
両年も折々
小震ありて
未治せす
午年も同
断来年に
至りて治す
追云
紺屋町聞書文音と
云書に
宝永四年亥の
十月四日大地震
其以前迄は地震と
いふ事をしらす
なやのふると云けるか
地震と唱へ初しの
亥年より初れり
云也
又云今も幡多郡
奥内郷にては
なやかいると云て
地震とは云さる也
西泊の浦人語りき
いるはゆる也通音也