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コレクション: STAGE8

地震記 上 - 翻刻

地震記 上 - ページ 43

ページ: 43

翻刻

    再云古寺々類焼後下知村を寺地に被仰付今の中堤より     西二閣し由《割書:今も土中より五輪石或は|石塔なと出るは寺地故也》其後年暦を経      御詮儀替し     にや今のことく寺町幷諸所へ転地せし也故に今も下知に屋敷を     持たる寺々多しとかや 〇橋は上に記せしことく六ケ所焼失したり享和には一ケ所も焼さりしと    おほ内《割書:回禄の日は大西風にて友故共は赤岡より東へ飛又明り障子一枚隣家の庭木|    の梢に懸り居しを見たるほとの大風なれは橋上に飛火留まる間なく》     《割書:吹払ひし|ゆへなるへし》元禄には焼失したる橋左のことく旧記に見えたり     境町橋◦蔵丁橋◦美濃屋橋◦播磨屋橋◦しもく橋二ツ◦     菜円場橋◦新市町東橋◦納屋堀橋◦新町橋◦新橋◦       以上十一ケ所    因に按に蔵丁橋は幡多倉橋の事歟此橋北の詰より西へ南輪は    幡多郡中村の御蔵ありし由橋の南詰には今に幡多倉と    号する役所も有也又本御蔵は種崎町広小路に在しを称    名寺万治三年焼失の後寛文三年今の地へ移され其寺跡へ    本御蔵を移されしかは旁東種崎町を蔵丁といひし成へし    美濃屋橋は今の使者屋橋の事也御使者家は尓来は御町方役所    なり根元は美濃屋忠左衛門か宅也しを代地を為はり差上し者也    しもく橋二ッは材木橋町橋の事とそ東に南北川流れ西は紺屋    町まで堀詰て撞木のことくなれはかく名付しと古老の説也    新町橋は蓮池町東の橋歟新橋は刎橋の事歟今しれかたし    凡家中境の橋は悉く土橋にて有しと云されは焼亡の愁な    くして要害にはよからん予か幼年の頃迄紺屋町西堀詰の    橋中島丁金子橋なと土橋にて有しを現に覚たりそれ    ゆへ紺屋町西の一丁をは町の名を土橋と云今高知る市中に土    橋の残れるは北奉公人町より井口へ渡る橋のみ也昔の質朴を    見るヘし此橋は根元勧化をして掛たれは勧進橋と云とそ 〇船の焼失の員数◦種崎町にて◦大艜九艘◦中艜二艘◦大屋