翻刻
土手をは追々開かれて今のことくに成りたりし也木屋ともハ
山田後免の者か願によりて此地に移り来りし也七十年の
むかしをおもひ前せの世の変草の如此なれハ因に記し置也
〇御国にて三度の大火と云伝へしは元禄十一年の回禄にて家数
千九百三十三軒焼たり第二には享保十二年二月朔日の回禄
《割書:火本は越前町|伊野部仗助》には家数千八百三軒焼たり第三には同二日の回禄
《割書:谷本右丈助南|隣郷辰三郎》には家数千三百四軒焼たり
《割書:両日共指火にて罪人は追て|長縄手にて火罪上獄門》
《割書:に処せ|らる》右三度も火災斗なれは土蔵は残りしも有へきに去冬は
塗籠も堅箇固なるほと震潰し土瓦は地に落ち裸蔵となり或
半潰ありても顧て土扉合されは市井の家庫塗篭一宇も
残らす烏有となりて市中の重器武具七珍萬宝
灰燼となりたるは歎へし
再云今も右に出せる享保十二未年の回禄をお城焼と
云御系図二云享保十二未年二月朔日ヨリ二日御城下
大火御城焼失同十四酉年御城御普請寛保二戌年
二ノ御丸御作事延享二丑年御移徒御本丸ハ寛延二巳
年御移徒三ノ御丸ハ宝暦三酉年御移徒々ト有
【上欄余白】
再云元禄の
火元は北奉公人
町佐藤甚左衛門
貸家古金屋
権右衛門なりと
古記に見ゆ
○火後市中の焼失家又ハ潰れても不焼家等町役の者か改め書
記して帰りしとそ追て御町方ゟ焼失家壱軒へ八銭八十匁つゝ
潰家一軒江えハ同四拾匁つゝ御介補として被遣し又火事中