翻刻
此妻女か深き思慮也けりと名誉世間に輝しと也
再云此手水鉢火に入て故物と成たれはさて火災の部に
書留て惜むへけれとも今幸に存在して此庭に伝ふれは
此条は除くへしとおもへとも末世此美談の失せゆかん
事をおもひ筆の序に書加へ置ぬ此妻は阿波屋忠七か
女にて高陽山人か妹也とかやさもあるへし
又云頃日聞は手水石を積たる船は栄幸丸といふ
勘丞か手船の由市中の伝説也と或者語りぬ
勘丞か全盛なりし事おもひやるへし
高潮の部
〇去十一月五日大震後の高瀬浦戸より内地潮より三尺四五寸
高かりしと云同六日下地村北の丸堤切れ新町へ押入満潮の
時は船を乗る《割書:家々屋敷に入潮高下ありて浅深は記し|かたし尤差引ありて十二月五日迄のまへ入り来る也》同十六日
潮高し同廿五日前日より波立風雨雷鳴して潮猶々高く
新町東は座上に上る西は床限《割書:予の宅地はいさゝか高けれは床より五寸斗|低し肉身の者舟にて江ノ口より家族共》
《割書:連に来れとも細舟門戸に支りて内に入らす外輪の深さ何尺歟|あらんしらす満たる時坪は腰を払ふといへ共漸々に引汐と成りぬ》下地村
中堤より東は座上より五六尺上る或は軒を払ふ同月末方より
切戸御普請ありて十二月五日より新町に潮差引入来る事は
おのつから止みたりし也今四月十八日子の上刻中震ありて