翻刻
夜中より雨降る十九日朝より風雨と成潮至て高く菜園場
横町西の提を打越す惣出して土俵を以堰留る又牛之助
提を打越し農家に入御別荘大隅様御立除と拝承す
終日の風雨吹込にて南川洪水尤川下潮高く押入ゆへ水
引とらすして上へこたへ築屋敷の地底を北へ吹出し南奉公
人町東は往来留る家々水上りすと云下町にては九反田東より
漸洪水とも〳〵溢入船を乗る已家住居は座上より一二尺もあかる
と云本御蔵の庭海となる《割書:今の御米蔵は称名寺の寺跡也此寺万治三|年焼失して寛文三年潮江今の地に移す》
《割書:其むかしは農人町の堀川はなく三つ頭より御心事方南堤添を通り雑喉場|越戸の内より木谷なかれ称名寺へは高き反り橋掛りしと也仍て九反田は川筋》
《割書:を埋たる跡なれは窪所|成事此度おもひ合せし也》六月朔日に日三日潮高く同十六日十七
同断七月十二日十三日波立夜半より雨降十四日より風雨と成潮去
今の内一番高く三つ頭御番所前潮江川の棒堤度々の高
潮に切れ居候ゆへ此日の洪水も川尻より潮押入来るによりて引
取事不叶して切り口より右九反田のことく洪水も逆に内川へ押
込潮高く大震の日より二尺高く平和の潮より都合五尺四五
寸《割書:海辺は|七尺》高かりしと云自然菜園場栄町へ上り農人町は堤
越戸の所打越両町共船にて往来す新町も西堤越戸或は
橋台より打越土俵にて防く弘岡町朝倉町納屋堀浦戸町
東よりのまへ込真宗寺門前の辺又は西横丁より北浦戸町船を乗る
本御蔵地形九反田は水底と成る材木町紺屋町新市町連
【上段】
再云三つ頭
御番所より東
稲荷宮迄の
並松九十本の
内三十三本
潮備にて枯
木と成惜むへし
又云丁巳七月
廿九日の風雨に
倒れ木多く
今四十本
斗存在す