翻刻
池町山田町は東半丁斗上る刎橋より西廿代半迄船を乗る南は
潮江西窪《割書:少将様御釣御殿近年御建立にて番人共家族引にて勤し也|高潮は御殿小扮の棟を払ひ水底となる当時定潮となりし》
《割書:ゆへ御毀になりしに柱をはしめ|天井まても牡蠣はみ付たりと云》新田役知竹島堤数ヶ所
切れ在所一
面海と成る塩屋崎高見竹島西孕潮は山根迄《割書:宇津野往来は清|水庵より山通り也》
北は陽貴山前堤一宮沖の堤所々切れ牛之助堤切潮押入《割書:御別|荘》
《割書:大隅様本御屋|敷え御立除と拝承》比島は山根迄入《割書:神明宮馬場之松|悉く枯しなり》江ノ口は田丁に入
【上段余白】
丙辰二月廿五日
御別荘へ御帰座也
愛宕町にも入莇野一宮泰泉寺は田丁に入下知《割書:此度は堤きれさるゆへ|新町へは潮いらす》
同所の内金田幷弥右衛門寺地の提所々切る東は絶海葛島の
大堤又々切《割書:大変の日の高潮に切れ御|普請有し再破損也》家頭大島葛島新木高須
の田家軒を払ふ潮は山根迄《割書:中道往来は葛島の山より油屋潮田の|堤通り新木高須の山を通り高須より》
《割書:鹿児迄船|渡しなり》鹿児蒲島も同断介良は在所迄下田衣笠は山根迄
八助堤切潮は山根迄下田川橋流る北にては砂地《割書:家数九|軒候所》亡所の
ことし丹七潮田幷佐右衛門堤所々切れ南にては吸江人家坪まて入
御事 御成道打越築立の切岸地形まて上る五台山は山根
上《割書:下道往来は|山通りや》上件のことく宝永四亥年より百四十八年の後の大
災にて四民の内にも農夫は産業に放れ桑田は海と変し牛
馬を飼ふ真草たになくされははとて他住は叶はす飢寒苦心の
中に空敷月日を送り時節を待は不便なれ
再云一日某の山上にのほりて眺望せしに大津鹿児まて
一般の滄海と成たるを見れは延長八年十二月二十七日