翻刻
再云聞出文盲に云元禄十六年癸未十一月廿二日当国所々湊
口潮満干日数三日不定也一日の内に四五度も曲ふ諸人
不審する所に東国大地震小田原の城崩安房上総へ
津波入死人夥し皆人知ることく也此事以後に聞ゆ他
国の事なれども心得の為に記すといふ事も見へたり《割書:実|云》
《割書:此癸未より宝永丁亥は五年の後|なれは其大震の兆にても有つらん歟》
〇今上件のことく諸書を参考して見るに潮は震の前後にくるふ
物成へけれとも市中の人は心付さるものならん油断すべからさる事
とも也又後世にても白鳳度《割書:付録に出せる|日本紀に見ゆ》のごとき大震もあるへし
いかなる大船にても沈没すへしとおもわる里俗伝へて云上代大
地震して津浪溢入東孕西孕の間打切今のことくなりしと云
白鳳にや年暦は伝へす去冬も大震すれは半刻をまたす高
潮入来るといふ事をもしらて南川原に遁れ出てさま〳〵不足
を取し事を聞ぬ平常震学をも心得置ぬへき事とも也
〇井の尻浦の住御浦方浪人に山中久平と云老人有隠居の後は
孫らを連て磯に遊ふ事常の事なるか去十一月の初より
日々潮に狂出来たる事と一天に雲なき事等を考合せて
家内を初浦中へ近々の内大変あらん事を示して家財共
を運せ山に遁れよと進むれとも空なる事且運送の
費もあれは浦人ともさまで信せさりし者も有又此家には