翻刻
宝永津浪の事の委敷筆記も有よしなれは夫をも考合
せて教る事ならんと信じて山居せし者も多かりしが
其者共久平一統は何一つ恙なかりしと也変後久平いふ様は
かほと諸人の為に成事慥に知りたしは御浦方へ可申出もの
をと後悔したると也追加に出せる広島氏と同日の談也高
岡郡破損偽書に井の尻か就◦十六軒流失十五軒潮漬り
女二人流失と有井の尻の者ならは登山はせさりしと見へたり
俗に云所謂神仏に放されし者共ならん
〇上様々様方津波御立除御用意として震後三ツ頭へ御船倉より
赤塗大小早九反帆御船壱艘繋く船中平御船頭水主共
都合二十四五人乗組右人数は浜より交代にて勤る当度以来は自
然震も間遠に成に付高潮の愁もなく御人減に成御船頭弐人水
主十人一昼夜代り合にて御船番勤ると也当十二月に至ても同
断也幷家中初下町は尓来船持ぬ家々も高潮用意として
市艇漁船上荷船艜丸??舟等堀川に繋く川辺ならぬ
家々は屋敷内に引入用意す諸 御家鋪御家老中にも同断
なるよしなれ共所見なけれは記しかたし
再云大変後の高潮に助ケ船とて三浦より市艇漁船等
来り堀川に停泊す尤種崎町弘小路農人町辺よりは諸人を
乗せ吸江へ贈りし又苫葺たる廻船も入来り諸人を
【上欄外】
此御船今の
井流方の傍に
新に御船倉
御建立にて
丙辰正月廿日
此御船倉に
入なり