翻刻
妻也舅姑に孝ありて其名高し然に舅姑夫も亡ぬる
後に山抜といふ事にあひ水におほれ死す其時屍を
掘出して見れは十二になる養子を背に負八つになりける
実の子の手を引て有けり幼方をこそ背には負へきに
長したるを負ひたるは此時に臨人て遁人と構ふるにも
養子を重くするの義をおもふ故成へし女といひ辺鄙
の産也何の学ふ前も有ましきに天性の美め此は世に有
がたきためし成へしさるにおもはさる災にかゝり死を
能せさるは悲しからすあれと此災によりて其徳ます〳〵
あらはるといふへきか国人これかために碑を建て事実を
記せりとなん
〇赤岡御役家詰徳永千規《割書:達|助》か去冬の大変を記したる書に云
須崎浦にてある漁師家内一同小船に打乗りて《ルビ:海嘯|ツナミ》の
難をのかれんとせしか波に引とられ船くつかへりて残らす
沈没す其中に十二歳斗の男子一人浮上りける折ふし大
筒の座板流れ来りけれはそれに取付け沖に出漂ひけるを
夜須浦の漁船に助けられ則夜須浦へ連帰りけるよしあ
人の話のまゝを記すと有
再云漂流者の助りしも其産土神の恩頼あるへし宝永にも
似たる話有左に写入たるを見ておもひ合すへし