翻刻
海を抱候御国にて其国内に遣候ほとの塩は何卒出来
可申儀とは役安芸権七一同に申合依之阿州表呼塩浜
之儀遂詮儀土地を見合此度一所為仕成候渡世に相成候趣
見聞候はゝ奥内与津等の塩入場所も往々願出塩浜に
仕成候はゝ出来可申左候はゝ向々御国にて遣足可申其為に
存立候儀にて始より清水一ヶ浦の塩浜にて利益を得申趣向にて
無之只仕成引合少々つゝ益分に相成側よりも尋敷存候て
存立候へかしとの儀にて候然に如此趣向を不存波塩浜入
同限是非算盤に合せ取返し可申との儀にては根元の
立意に違候間此段為後日の相記置もの也
天明四辰年十二月十四日 谷 丹内
〇以南の内中浜に池道之助と云浦人有平常隠徳の志深く
親切奇特なる事少なからすとかや去冬の大変にあひて己か
墓地《割書:中浜より清水浦へ越す所の|坂中にて往来人の目に触る所》に高四尺斗の石碑を建て左の
俗文を一つ書に四方に彫回し後世女童に至まても心向になれ
かしとの趣意にて仮名交りの不文なる物なれとも其仁心感
するに堪たれは探りもとめて写入置ぬ
一嘉永七寅年十一月五日大地震静否浦々大潮入流家死人夥
一大地震の時は火をけし家を出る事第一也家にしかれ
且やけ死多し