翻刻
止然我浦無一人死者可謂幸矣後之
遭大変者豫慮海潮之変而避焉則
可也
〇 浦戸稲荷坂建石彫刻の文
安政元寅十一月五日大地しん津波後世人大地しん
有時は津浪入と心得へし
大黒屋嘉七郎建之
再云右石根元此稲荷宮のの鳥居なりしか
大変に倒れ故物と成たるを申請てかく造営し
たりしとかやいかにも奇特成事ならすや
〇《ルビ:尾井|モミヌキ井》の事
新町の土地上にもいへることく根元潮田ゆへ清泉の井水なく
西井手の流れは大川端関の南より廿代町を通し新町菜
園場農人町の用水と成《割書:元禄十二年の御制札建|左に写し入たるを見るへし》夫より下知
両丸の良田に懸る然に此水斗にて霖雨の頃又は風雨の節
渇て飲水にならずして至て水乏敷町柄にて火災の用心も
あしことて旁寛政十二年馬詰権之助と云御町奉行此
子細を上聞に達し江州の水工四人を御雇入にて尾井を
始らる一に桜井二に紺屋町三に種崎町広小路西の井其外
段々と御町方御手先にて掘らせられ御国者も自然見習
【左上欄外】
再云水工四人か名
和助 清六
与八 六弥
といふ者とも
也とおもひ
出したれは
しるし置也