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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百十八號 大海嘯被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百十八號 大海嘯被害録(上) - ページ 21

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【上段】 下砂に埋(うづも)るゝもの等あり実(じつ)に人間界の有様(ありさま)とは思はれず漸く鋸 もて楹(たるき)を切るやら鍬(くわ)を持ち来りて砂(すな)を掘るやらの大騒(おほさわ)きを為し て扶け出(いだ)せるもの唐桑村(からくわむら)のみにて十四人あり助(たす)かりたるものゝ 中には頗(すこ)ふる奇妙(きめう)のものあり一|例(れい)を挙ぐれは佐藤(さとう)栄四郎(えいしらう)の妻某 は風呂に浴(よく)し居たりしに海嘯(つなみ)の為め風呂桶のまゝ|谷奥(たにおく)に打ち寄 せらるゝこと六丁許かりにて桶は顛覆(てんぷく)したれとも潮水(てうすい)間(ま)も無(な)く 去りたれバ傷(きづ)をも受けず一命を拾(ひろ)ひ取り鮪田(しびた)の田村芳之助は猟(れう) 師小屋(しこや)の如き家に住へる者なるが腹部(ふくぶ)の辺まで水に浸されたれ ば最早(もはや)是までなりと観念(かんねん)し居たりしに屋上(おくじやう)に人声の聞(きこ)ゑしより 手(て)を伸(の)ばして屋を突破(つきやぶ)りたるに屋低くして直ちに出入に差支無 き程(ほど)の穴明き且(かつ)屋上(おくじやう)より引上(ひきあ)げ呉れたる人ありて己れ先づ出て 更(さら)に其穴より妻を引|上(あ)げ一家難を免れたるが屋上(おくじやう)の人は同夜(どうや)共 に酒を酌(く)み居たる友にて其友は如何にして屋上(おくじやう)に上りたるや自(みづか) ら知らざるの類是なり救助を受(う)くるものはニ百六十戸にして千 ニ百人余なり志田郡(しだごほり)古川町の弁護士|阿部(あべ)鉄太郎なる人の主唱に て有志家(ゆうしか)相謀り此地に医員(ゐいん)四名を派出(はしゅつ)し自ら薬品(やくひん)其他の費を弁 じて負傷者(ふしやうしゃ)の収容に尽力(じんりょく)し居れり 屍体捜索の困難(こんなん)  唐桑地方は船舶(せんぱく)悉皆流失|破損(はそん)して物(もの)の用に 立つべきもの一艘も無(な)きのみならす生存者(せいぞんしゃ)も九死に一生を得(え)た る事とて半死半生の有様(ありさま)なれば屍体(したい)の捜索極めて困難(こんなん)にして屍 体の発見(はつけん)少なきもの亦之か為めなりと云ふ ○海嘯(つなみ)中に突進す  唐桑村字只越の予備(よび)歩兵(ほへい)根口万次郎は日 清戦争|以後(いご)は護国の精神(せいしん)益々|盛(さか)んにして何時(なんどき)敵国|来寇(らいこう)するやも 計かるへからすと治に居て乱(らん)を忘(わすれ)すとの古言を守り常に其(その)準備(ようゐ) をなし居りしか海嘯(つなみ)の当日|大船(たいせん)の駛(はし)る如き響あると共(とも)に轟然(ぐわうぜん)た る大砲(たいほう)の如き音の聞えしよりスワ敵艦(てきかん)来れりと急(いそ)ぎ用意の軍服 を着け剣(けん)を提げて海岸(かいがん)に突進するや山なす怒濤に捲(ま)き去られて 【下段】 行衛(ゆくゑ)知れす其|後(ご)浜辺(はまべ)に死骸漂着せしに尚(な)ほ剣を放さざりしと (挿図参看) ◎死人(しにん)の鯱立ち  又(また)同村にては遭難(そうなん)の翌日|郡吏(ぐんり)救援に赴(おもむ)きし に田(た)の中に倒(さかさ)まになつて立ち居たる死体ありしと(挿図参看)    ●巌手県気仙郡     ●気仙村及其付近村落 気仙沼(けせんぬま)、北に指(さ)して早馬山(さうまさん)の険あり、馬背に依(よつ)て之を越(こ)ゆれば 巌手県の気仙村(けせんむら)に入る気仙村には高瀬山(たかせやま)の麓、廣田湾(ひろたわん)の浜りにあ り戸数(こすう)五百四十二、人口三千六百五十一、漁村(ぎょそん)としては可なり の村落(そんらく)なり、されど被害(ひがい)は其(その)一大字なる長部(をさべ)のみにて、流失(りうしつ)戸 数三十五、死亡(しぼう)十八を出(い)ずに止(とゞ)まりしは不幸(ふこう)中の幸なり又髙田 は気仙村の北東(ほくとう)に当り人口三千四百八十九、戸数五百六十四を 有(いう)する小都会なるが被害(ひがい)は殆んど皆無(かいむ)にして流失一戸、溺死(できし)一 人を出せしに過(す)ぎずされば髙田(たかた)町の人民(じんみん)は力の有らん限(かぎ)り被害 地の為めに尽(つく)さんとの心(こゝろ)にて、赤十字社|海嘯(つなみ)救恤(きうじゆつ)事務所を設け 人夫、馬匹等を無害(むがい)地方(ちほう)より徴発(ちょうはつ)招集し日々(ひゞ)被害地(ひがいち)に向けて派 遣せり 又米崎は戸数(こすう)三百四十三の内(うち)十戸を流失(りうしつ)し、人口二千四百六十 の内十二を溺死(できし)せしめしに過(す)ぎず    ●末崎 末崎村(まつざきむら)は大船渡湾の尽(つ)くる処にあり半(なかば)、外洋(ぐわいやう)に面する漁(ぎょ)七農三 の部落(ぶらく)にして戸数三百八十八、人口二千九百六十五を有す而(しか)し て其(その)流失(りうしつ)若くは破壊家屋は百七十八、死亡(しぼう)人口は六百五十九実 に驚(おどろ)くべきの大数(だいすう)なり其負傷人員の如きは重傷者(ぢうしやうしゃ)のみにて百六 人と称(しやう)せらる之れに軽傷者(けいしやうしゃ)を加ふれば二百人以上なるべし、さ れば沿岸(えんがん)一帯一里半の長(なが)き、破壊家屋の屋根(やね)、梁(はり)、桶(たる)其他布団 家財道具(かざいどうぐ)の流失せるが、潮(しほ)の為めに再(ふたゝ)び此岸に打寄せられたる