翻刻
【上段】
下砂に埋(うづも)るゝもの等あり実(じつ)に人間界の有様(ありさま)とは思はれず漸く鋸
もて楹(たるき)を切るやら鍬(くわ)を持ち来りて砂(すな)を掘るやらの大騒(おほさわ)きを為し
て扶け出(いだ)せるもの唐桑村(からくわむら)のみにて十四人あり助(たす)かりたるものゝ
中には頗(すこ)ふる奇妙(きめう)のものあり一|例(れい)を挙ぐれは佐藤(さとう)栄四郎(えいしらう)の妻某
は風呂に浴(よく)し居たりしに海嘯(つなみ)の為め風呂桶のまゝ|谷奥(たにおく)に打ち寄
せらるゝこと六丁許かりにて桶は顛覆(てんぷく)したれとも潮水(てうすい)間(ま)も無(な)く
去りたれバ傷(きづ)をも受けず一命を拾(ひろ)ひ取り鮪田(しびた)の田村芳之助は猟(れう)
師小屋(しこや)の如き家に住へる者なるが腹部(ふくぶ)の辺まで水に浸されたれ
ば最早(もはや)是までなりと観念(かんねん)し居たりしに屋上(おくじやう)に人声の聞(きこ)ゑしより
手(て)を伸(の)ばして屋を突破(つきやぶ)りたるに屋低くして直ちに出入に差支無
き程(ほど)の穴明き且(かつ)屋上(おくじやう)より引上(ひきあ)げ呉れたる人ありて己れ先づ出て
更(さら)に其穴より妻を引|上(あ)げ一家難を免れたるが屋上(おくじやう)の人は同夜(どうや)共
に酒を酌(く)み居たる友にて其友は如何にして屋上(おくじやう)に上りたるや自(みづか)
ら知らざるの類是なり救助を受(う)くるものはニ百六十戸にして千
ニ百人余なり志田郡(しだごほり)古川町の弁護士|阿部(あべ)鉄太郎なる人の主唱に
て有志家(ゆうしか)相謀り此地に医員(ゐいん)四名を派出(はしゅつ)し自ら薬品(やくひん)其他の費を弁
じて負傷者(ふしやうしゃ)の収容に尽力(じんりょく)し居れり
屍体捜索の困難(こんなん) 唐桑地方は船舶(せんぱく)悉皆流失|破損(はそん)して物(もの)の用に
立つべきもの一艘も無(な)きのみならす生存者(せいぞんしゃ)も九死に一生を得(え)た
る事とて半死半生の有様(ありさま)なれば屍体(したい)の捜索極めて困難(こんなん)にして屍
体の発見(はつけん)少なきもの亦之か為めなりと云ふ
○海嘯(つなみ)中に突進す 唐桑村字只越の予備(よび)歩兵(ほへい)根口万次郎は日
清戦争|以後(いご)は護国の精神(せいしん)益々|盛(さか)んにして何時(なんどき)敵国|来寇(らいこう)するやも
計かるへからすと治に居て乱(らん)を忘(わすれ)すとの古言を守り常に其(その)準備(ようゐ)
をなし居りしか海嘯(つなみ)の当日|大船(たいせん)の駛(はし)る如き響あると共(とも)に轟然(ぐわうぜん)た
る大砲(たいほう)の如き音の聞えしよりスワ敵艦(てきかん)来れりと急(いそ)ぎ用意の軍服
を着け剣(けん)を提げて海岸(かいがん)に突進するや山なす怒濤に捲(ま)き去られて
【下段】
行衛(ゆくゑ)知れす其|後(ご)浜辺(はまべ)に死骸漂着せしに尚(な)ほ剣を放さざりしと
(挿図参看)
◎死人(しにん)の鯱立ち 又(また)同村にては遭難(そうなん)の翌日|郡吏(ぐんり)救援に赴(おもむ)きし
に田(た)の中に倒(さかさ)まになつて立ち居たる死体ありしと(挿図参看)
●巌手県気仙郡
●気仙村及其付近村落
気仙沼(けせんぬま)、北に指(さ)して早馬山(さうまさん)の険あり、馬背に依(よつ)て之を越(こ)ゆれば
巌手県の気仙村(けせんむら)に入る気仙村には高瀬山(たかせやま)の麓、廣田湾(ひろたわん)の浜りにあ
り戸数(こすう)五百四十二、人口三千六百五十一、漁村(ぎょそん)としては可なり
の村落(そんらく)なり、されど被害(ひがい)は其(その)一大字なる長部(をさべ)のみにて、流失(りうしつ)戸
数三十五、死亡(しぼう)十八を出(い)ずに止(とゞ)まりしは不幸(ふこう)中の幸なり又髙田
は気仙村の北東(ほくとう)に当り人口三千四百八十九、戸数五百六十四を
有(いう)する小都会なるが被害(ひがい)は殆んど皆無(かいむ)にして流失一戸、溺死(できし)一
人を出せしに過(す)ぎずされば髙田(たかた)町の人民(じんみん)は力の有らん限(かぎ)り被害
地の為めに尽(つく)さんとの心(こゝろ)にて、赤十字社|海嘯(つなみ)救恤(きうじゆつ)事務所を設け
人夫、馬匹等を無害(むがい)地方(ちほう)より徴発(ちょうはつ)招集し日々(ひゞ)被害地(ひがいち)に向けて派
遣せり
又米崎は戸数(こすう)三百四十三の内(うち)十戸を流失(りうしつ)し、人口二千四百六十
の内十二を溺死(できし)せしめしに過(す)ぎず
●末崎
末崎村(まつざきむら)は大船渡湾の尽(つ)くる処にあり半(なかば)、外洋(ぐわいやう)に面する漁(ぎょ)七農三
の部落(ぶらく)にして戸数三百八十八、人口二千九百六十五を有す而(しか)し
て其(その)流失(りうしつ)若くは破壊家屋は百七十八、死亡(しぼう)人口は六百五十九実
に驚(おどろ)くべきの大数(だいすう)なり其負傷人員の如きは重傷者(ぢうしやうしゃ)のみにて百六
人と称(しやう)せらる之れに軽傷者(けいしやうしゃ)を加ふれば二百人以上なるべし、さ
れば沿岸(えんがん)一帯一里半の長(なが)き、破壊家屋の屋根(やね)、梁(はり)、桶(たる)其他布団
家財道具(かざいどうぐ)の流失せるが、潮(しほ)の為めに再(ふたゝ)び此岸に打寄せられたる