翻刻
【上段】
所なく荒廃(くわうはい)し漁具も毫末残す所(ところ)なく洗ひ去られたれば存(そん)するも
のは多少(たせう)の山畑のみにして生存(せいそん)せる人民と雖(いへど)も業を執るを得ず
字茶屋前、缺之下(かけのした)の両字は湾底に位せるを以(もつ)て死傷(しゝやう)及び流失は
少きも製塩(せいえん)を以て一|年(ねん)の生計を営(いとな)めるに塩田|悉(こと〴〵)く失せて是亦職
業を奪(うば)ひ去られたり湾底(わんてい)を距る十丁許りの処(ところ)に盛町あり戸数三
百余郡衙あり警察署(けいさつしょ)あり料理店あり旅籠屋(はたごや)ありて小|市街(しがい)を為し
居れど今回(こんくわい)は更(さら)に其害を受(うけ)ず只(たゞ)大船渡辺|道路(だうろ)破壊し電柱折れ北
沿岸亦大破せしを以(もつ)て一|時(じ)交通(かうつう)の便を失(うし)なひしのみ県庁(けんちやう)より出
張するもの赤十字(せきじゅうじ)救護員(きうごゐん)の来るもの等陸続として投宿(とうしゆく)を求むる
も容易に得(う)べからず各(かく)旅籠屋(はたごや)とも上を下(した)への大混雑(おほこんざつ)なり人夫の
如きも払底(ふつてい)にて数倍の賃銀(ちんぎん)を払ふも応(おう)ずるものなし
大船渡村はニ百九十五|戸(こ)の村落(そんらく)中七十四|戸(こ)を流失(りうしつ)し二千三百四
人の人民中(じんみんちう)八十三名を失ふ赤崎村(あかさきむら)に至ては此より更(さら)に全戸数
三百八十三戸|中(うち)二百五十|戸(こ)を流亡(りうぼう)し人口二千九百八十五人の中
四百九十七人を溺れしめ大字(おほあざ)中赤崎は八十|戸(こ)の村落(そんらく)中(ちう)僅かに一
戸を残(のこ)し人民も亦(また)大半(たいはん)死滅(しめつ)せりと云(い)ふに至ては天下の惨事之に
過ぐるものあらんや
●綾里村
○午前十時に激響を聞(き)く 海嘯(つなみ)当日綾里村の西北(せいほく)四里半許り
の処にある五葉山 (気仙(けせん)郡第一の高山)に檜(しのき)の木を伐採しつゝ
ありし樵夫|鮪(まぐろ)船松魚船等に乗り組(く)み気仙沼沖に掛り居(ゐ)たる漁夫
は午前十時頃に於(おい)て大平洋上に雷の如(ごと)く砲の如き激響の起るを
聞き、又午後七時に於(おゐ)て激震(げきしん)に接触せり
○波(なみ)高き事(こと)十余丈 綾里村字白浜、野々前に激触せる海波は
十|余丈(よじよう)の高さに達せり
○役場(やくば)吏員(りゐん)皆死す 役場吏員は村長を除(のぞ)くの外(ほか)皆溺死、死体
すら未だ発見(はつけん)せず姓名は下の如し収入|役(やく)松本(まつもと)一十郎、助役千田
【下段】
与(よ)太郎、書記|鈴木(すゞき)邦一、書記野々村善作
○村会(そんくわい)議員 村会議員|村上(むらかみ)巳之作、熊谷三太郎、千田兵太郎、
豊沢(とよさは)忠平、舘脇庄作、村上浦次、野村栄吉、野々村藤蔵、佐々木亀
吉の九名も亦皆溺死せり
○役場(やくば) 港に在(あ)り流失(りうしつ)して一物だも残さず
●越喜来村
○心懸よき教師 越喜来村(をつきらいむら)は今回の凶変(きやうへん)に最も惨状を極(きは)めた
るが同校(どうかう)教員(けうゐん)に佐藤陣なる人(ひと)あり今しも激浪(げきらう)怒濤の凄しき勢ひ
にて渦(うづ)まき来るや氏(し)は直(たゞ)ちに校内奉置の御真影(ごしんえい)を数町距りたる
安全なる場所(ばしょ)に奉置し先(ま)づ安心(あんしん)と取返して見(み)れば愛兒某が水中
にありて将(まさ)に推し流されんとする処(ところ)なるより奮躍(ふんやく)して激浪中に
飛び入り首尾(しゆび)よく之を救(すく)ひ出(いだ)したりと云(い)ふが天も亦(また)此忠者に幸
せしか(挿図参看)
●吉浜
○昔は碧海 吉浜村(よしはまむら)大字川原の一|部分(ぶゞん)は大海嘯の為(た)め陥りて
海原と化(くわ)しぬ或る老人(ろうじん)之(これ)を聞て曰く吉浜|昔(むかし)は葦浜(あしはま)と書し海の填
まりて耕地(こうち)となれる所(ところ)今(いま)復た旧の如く葦浜(あしはま)となりたるは何等か
の因縁(いんえん)なるべしと
●小白浜村
○寺僧の狼狽 小白浜(こしろはま)の村稍尽の小高(こだか)き所に一の寺院(じゐん)あり寺
僧は大(おほい)なる音響の聞(きこ)えしに打響き何事(なにごと)ならんと村内を瞰下(みくだ)した
るに一面に白烟(はくえん)の立騰り一|方(かた)ならぬ大騒動(おほそうどう)をなせる様子なるに
ぞ定めし出火(しゆつくわ)ならんと察し無暗矢鱈(むやみやたら)に梵鐘を撞(つ)き鳴らせり斯る
所へ村民(そんみん)の誰彼ビショ濡(ぬ)れとなつて命(いのち)から〳〵逃れ来(き)しより茲
に始めて其(その)火災(くわさい)にあらずして水災(すゐさい)なるを知りたりと、亦(ま)た当時
倉皇の状(じやう)を想ひ見(み)るに足(た)る
○軍人の溺死 予備(よび)海軍(かいぐん)水兵(すゐへい)山崎久蔵氏は日清戦争(につしんせんそう)の当時吉