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【右頁上段】
野艦に乗組(のりく)み砲烟弾雨を物(もの)ともせずして奮戦(ふんせん)したるも身(み)に微傷
だも負はずして無事(ぶじ)に帰家(きか)せしに今回|計(はか)らずも海嘯の難(なん)に会(あ)ふ
て海底の藻屑(もくづ)となれり男兒(だんじ)屍(かばね)を馬革に裹(つゝ)まずして魚腹(ぎょふく)に葬る其
遺憾果して如何(いかん)ぞや
●唐丹村
唐丹村の惨状(さんじやう) 唐丹村(とうにむら)は家屋の流失(りうしつ)及び人畜の死傷等(ししやうとう)之(こ)れを
釜石(かまいし)に比すれば少数(せうすう)なるが故に知らざるものは見(み)て以て其(その)損害(そんがい)
軽少(けいせう)なりしとなさん、然(しか)れども是れ本来(ほんらい)の家屋人口の釜石(かまいし)より
も少数(せうすう)なるが為めにして其(その)怒濤(どたう)の急激に且(か)つ激甚なること寧(むし)ろ釜
石の上に在(あ)りしか如し、現(げん)に釜石の溺(でき)死者は十|中(ちう)の八九|迄(まで)は大
抵|衣服(いふく)を纏ひ居るも唐丹(とうに)は之れと正反対(せいはんたい)にて十中の八九まては
赤条々(あかはだか)となり居り其(その)僅(わづ)かに残れる特鼻褌(ふんどし)、湯巻(ゆまき)の如きも大抵は
擦り抜け居(を)れり是れ皆(みな)烈しく怒濤(どたう)に浚はれ且(か)つ撲たれたる結果(けつくわ)
ならん、今|当日(たうじつ)の状況を聞(きく)に午後八|時(じ)十分頃 (釜石(かまいし)より二三十
分(ふん)早かりしが如し)轟然(がうぜん)たる音響の聞(きこ)ゆるや否や分秒(ふんべう)の猶予も
なく幾丈の濁浪(だくらう)滔々(たう〳〵)として一|潟(しゃ)千里の勢(いきほ)ひを以て襲ひ来りアハ
ヤと云ふ間(ま)もあらせず火山(くわさん)の破裂したらんが如(ごと)く水烟濛々とし
て立塞(たちふさ)がり眼前|咫尺(しせき)の先(きさ)きをも見透(みすか)すこと能はず其(そ)の物凄(ものすご)きこと言
はん方なし且(か)つ其の勢ひの烈(はげ)しき大木(たいぼく)を折り家屋(かをく)を破壊し所謂
る将棋倒(しやうぎたう)しよりは数層数十層も烈(はげ)しく其(そ)のバタ〳〵と倒(たほ)された
る家屋は微塵(みぢん)に砕けて一として原形(げんけい)を存(そん)するものなし以て其(その)何(い)
如(か)に急劇(きふげき)なりしやを察(さつ)するに足らん
大字本郷は総戸数(そうこすう)百五十四戸悉く流失(りうしつ)し人口八百十名の内(うち)其十
二人を残(のこ)して余の七百九十八人は魚腹(ぎょふく)に葬られたり爾かも此(この)十
二人さへ皆(みな)大小の傷痍(しやうゐ)を受け身命の全き者一人も之れあらず、
之れに反して字大石(あざおほいし)は総戸数五十四戸の内唯だ一戸|流亡(りうぼう)し人口二
百余名の内僅かに九人の死者(ししゃ)を出たせしは仕合(しあは)せなり、字|小白(こしろ)
【右頁下段】
浜(はま)は総戸数百十五戸にして其(その)内九十七戸は流失(りうしつ)し今(いま)残(のこ)れるもの
僅(わづ)かに十七戸、人口(じんこう)は四百六人にして死者(ししゃ)三百四人に及び生存(せいそん)
者は百二|人(にん)なれとも其七十二人は傷痍(しやうゐ)を被り幸(さいは)ひに無事なるを
得(え)たるものは唯三十人のみ此外(このほか)馬匹四頭亦た流失す
荒川(あらかわ)の惨状 唐丹村(とうにむら)の内字荒川と云へる所は極端(きょくたん)の海辺にあ
りしが故に其|被害(ひがい)も亦甚だしく総人口(そうじんこう)二十七人の内鈴木|延命(えんめい)の
妹 (《割書:二十|五 》)葛川(かつらかは)市太郎の妻 (《割書:二十|九 》)外一名を残(のこ)せるのみにて其他は尽く
海底(かいてい)の藻屑と化し去れり
溺死者の蘇生 去る十六日|午後(ごゞ)二時頃|死体(したい)の捜索中倒屋根の
葺茅(ふきかや)の下より一個の死体(したい)を発見せしに身中|尚(な)ほ温かきより之を
介抱せしに間(ま)もなく蘇生(そせい)せり是れ大崎|伊与松(いよまつ)の子由次郎 (《割書:十| 二》)な
る者
郵便(いうびん)脚夫溺死者を救ふ 郵便(いうびん)脚夫曽根徳次郎なるものは漸(やうや)く
にして海嘯(つなみ)の難を免かれ且つ溺死者(できししゃ)を三名まで救(すく)ひ上げたり其
内松本つる(《割書:五十|一 》)なるものは鼻骨(びこつ)を打挫き鮮血(せんけつ)淋漓として気息(きそく)殆
んと絶えなんばかりなりしが我子(わがこ)の名を言(い)ひてアレは助(たす)かりま
したらうかと問ひたりと子(こ)を思ふの情|推量(おしはか)られて哀れなり
海上に命を拾ふ 唐丹(とうに)の漁夫四十二人|漁船(ぎょせん)三隻に分乗(ぶんじょう)し鰹猟
の為(た)め海上遠く出漁し居りしが何(なに)か沖合に音響の聞(きこ)えしやうな
りしも別段(べつだん)浪も立たざりし由にて無事(ぶじ)に其翌日|帰村(きそん)せり、是れ
人の休める節句(せつく)に稼きたるお蔭にやあらん
●南閉伊郡
●釜石町
釜石の被害 釜石町(かまいしまち)は惣戸数千百五戸、人口(じんこう)千五百二十九人
なり、此内|流失(りうしつ)家屋(かをく)九百五十|戸(こ)破壊(はくわい)家屋四十戸、死亡者四千
九百八十五|人(にん)、負傷者五十|人(にん)なり、左れば残(のこ)れる家屋は百余戸
にして身体(しんたい)生命(せいめい)を全(まつた)うせしは僅(わづ)かに千|余人(よにん)のみ、此外(このほか)船舶(せんぱく)の破
【左頁上段】
損二百三十七隻、田畑(たはた)潰地(かいち)ニ百二十二|町(ちやう)五|反余(たんよ)にして警察署一
小学校(せうかくかう)三、郵便(いうびん)電信局(でんしんきょく)一|流失(りうしつ)し牛馬の失(しつ)せるもの三十一|頭(とう)に及
ぶ、以(もつ)て其の被害の甚大(はなはだだい)なるを知るべし
海嘯(つなみ)の激烈 海嘯の起れるは十五日|午後(ごゞ)八時三四十分の間に
在(あ)り其際大降雨なりしが海嘯(つなみ)は倐忽に且(か)つ激烈に襲ひ来れると
分秒(ふんべう)の間に二|回(くわい)に及び全市の家屋(かをく)殆(ほと)んど洗ひ去られ壊(こわ)し尽くさ
れしなり海嘯(つなみ)の高さは七丈にも及(およ)びしならんといふ
部長の負傷 釜石(かまいし)警察署詰(けいさつしょづめ)の巡査部長は第(だい)一|回(くわい)の海嘯にて其
家の倒(たふ)れしより庇(ひさし)の下に蹲(うづく)まり居れる所(ところ)へ又もや、第(だい)二回の海
嘯に襲(おそ)はれて水底に沈(しづ)みたるも漸(やうや)く屋根を毀(こほ)ちて其上に逃(のが)れ出
でしに天運(てんうん)なるかな其家(そのいへ)の山の端に打揚(うちあ)けられし為(た)め負傷しな
からも一|命(めい)を助かれり其(その)長男(ちやうなん)の死体は廿日|発見(はつけん)せられたれども
其妻の遺骸(ゐがい)は未た見当(みあた)らず、警察署長も亦(ま)た山に打揚げられて
重傷を負(お)ひしも生|命(めい)には別条(べつでう)なし
少女の幸運 (五日|目(め)に堀出(ほりだ)さる) 十九日|午後(ごゞ)二|時(じ)頃(ごろ)のことなり
き人足等(にんそくら)が潰家を片付(かたづ)くる折柄(をりから)箪笥(たんす)の下(した)にて幽かに人声(ひとごえ)の聞え
しより訝(いぶか)りつゝ|引起(ひきをこ)し見れば意外(いぐわい)なる哉|意外(いぐわい)なる哉死せしと思(おも)
ひ居(を)りし蘭崎(らんさき)よみ(《割書:十| 一》)なる者(もの)箪笥(たんす)の環(くわん) (棒に挿す処)の突張りた
る為(た)め少しの空隙(すきま)ある間に挟(はさ)まれ息も絶(た)え〳〵の有様(ありさま)なるにぞ
早速(さつそく)扶出(すくひだ)して介抱(かいほう)せしに今は全(まつた)く回復せしと云(い)ふ遭難(そうなん)より五日
目(め)にして助かりしとは実(じつ)に不思議(ふしぎ)なる話(はなし)ならずや
石応寺前の悲惨(ひさん) 同寺は北方(ほうくはう)高地(かうち)にありし為め今回|海嘯(かいしょう)の難
を免(まにか)れたれば今日までに発見(はつけん)したる屍体は悉く同寺(どうじ)に運搬(うんぱん)し居
れり、伏屍累々|何(いづ)れも水腫(みづは)れに腫れ膨(ふく)れ色変(いろかはり)肉裂け皮膚爛れ或
は腕(うで)の折れたるあり或(あるい)は骨(ほね)の挫(くじ)けたるあり或は首のなき小兒の
遺骸(むくら)あり一として創痍(さうてい)を負はざるはなく中(なか)には内股に膀胱(ぼうくわう)のや
うなる水嚢(みづぶくろ)の出来居るもあり手足(しゆそく)腹部(ふくぶ)の脹れ上(あが)りて迴り三尺以
【左頁下段】
上の者もありて殆(ほと)んど人体の格好(かつかう)を失ひ若し|臭気(しうき)なくんば下手
の彫刻家(てうこくか)の手に成れる人形(にんぎやう)かとも思(おも)はれん而して少(すく)なきは二三
ヶ所(しょ)多(おほ)きは七八ヶ所(しょ)も黒紫色斑々として桑(くわ)の実(み)の熟したるが如
きもの体中に呈(あら)はれ居れり是(こ)れ木材(もくざい)などに打当られて黒血(くろち)の寄
りたるにやあらん見(み)るからに毛髪(みのけ)竪立(よだ)ちて思(おも)はず念佛(ねんぶつ)を唱へぬ
◎石応寺門前の死骸 釜石(かまいし)なる石応寺の門前(もんぜん)には此処(こゝ)彼処(かしこ)よ
り集(あつ)め来りたる死骸(しがい)を陳(なら)べて遺族(ゐぞく)の人々に示(しめ)しけるが去(さ)る十八
日|夫婦(ふうふ)と覚しき翁媼(おうをふ)の来りて陳(なら)べ置きたる若き婦人の側に寄り
てオゝお前は此処(こゝ)に居(ゐ)たかとて死骸(しがい)を抱き起し経帷子(けうかたびら)の代(かは)りに
とて白木綿(しろもめん)を着せつゝ|涙(なみだ)を泛へて生(い)きたる人に物言(ものい)ふ如く之れ
を持つて行けよ此帯(このおび)をしめて行(ゆ)けよなど語(かた)りては時々(とき〴〵)其名(そのな)を呼
びて念佛(ねんぶつ)を唱へけるが語々(ごゞ)切々(せつ〳〵)真情(しんやう)より出でざるなく他(た)の遺族
の人々も我身(わかみ)につまされて貰(もら)ひ泣きをなしたりとなん
仮警察署 当地(とうち)警察署(けいさつしょ)は影だも留(と)めざるに至りしを以(もつ)て仮に
山の手なる山口署長の自宅(じたく)を以て同(どう)警察署(けいさつしょ)に充て岩手県警察本
部及花巻、遠野等より派遣(はけん)の警官数十名|東奔西走(とうほんさいそう)罹災民の救護
に鞅掌(わうしやう)しつゝあり
桟橋の流失(りうしつ)及鉄路の破壊(はくわい) 田中長兵衛氏の所有(しょいう)に係る釜石町
字鈴子なる精錬所(せいれんじょ)は何等の損害なかりしも同地(どうち)より海辺(かいへん)に通ず
る軽便( いべん)鉄路約一哩許は海嘯(つなみ)の為め非常(しじやう)なる損害を被(かうむ)り殊に海中
に斗出せし一百|間(けん)の長桟橋は当夜(とうや)流失して僅に柱杭の影(かげ)を止む
るに過ぎず且(か)つ廻漕部にありし役員(やくいん)二、大工頭一、倉庫一、役
員宅一、人夫長屋三棟と八十余名の人夫とは遂(つひ)に影(かげ)だも見ずな
りぬ、然(しか)るに同桟橋は偶然(ぐうぜん)にも汽船三友丸の入港(にふかう)し居りし為め
即時湾口より引来(ひきゝた)ることを得たりと云ふ
長安丸以下の帆船 田中(たなか)工場の所有(しょいう)なる長安丸及製造中なり
し三百噸の帆前船(ほまへふね)を始め幾多(いくた)の日本形船舶は海岸(かいがん)若くは沖合に