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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百十八號 大海嘯被害録(上) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百十八號 大海嘯被害録(上) - ページ 26

ページ: 26

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【上段】 云ふ 姉(あね)、二|弟(てい)を助けて惨死す  釜石町の質屋(しちや)にて相応の財産家(ざいさんか)な る老人(らうじん)某は当夜其身のみ逃出(のがれい)でしも家族(かぞく)の事気に掛りて引返(ひきかへ)し 来りたるに長女が水中より頭(あたま)のみを出して「阿爺(おとつさん)好く来て下さ つた私は二人の幼弟(なとうと)を助けたさに片腕片足を失(うしな)ひましたが弟等 が助かればモウ死(しん)でも本望です」と涙(なみだ)ながらに気絶(きぜつ)し居る二弟 を渡(わた)せしかば父は先づ其弟二人を他に連出(つれだ)して水を吐(はか)せたれば 孰れも幸に蘇生(そせい)したれど憐むべし姉娘(あねむすめ)は暫し余命を保ちたるの みにて其|翌朝(よくてう)死亡(しぼう)したるよし 少女四|昼夜(ちうや)間潰家に在り  釜石町にて去る十八日の夕刻(ゆふこく)人夫 等が潰家(つぶれや)を発掘し居りたるに其|足下(あしもと)に助けを呼ぶ声の聞ゆれば 屋根(やね)材木(ざいもく)等を取片付け見れば一二の死体(したい)の傍、箪笥(たんす)や雑具の間 に取囲(とりかこま)れて十三歳位の少女|蹲(うづく)まり居るより早速(さつそく)之を救出して仮 病院へ入れたるよし 樹上より両親(れうしん)愛子(あいし)の最後を見送る  大槌町の小学(せうがく)教員道又某 は当夜|屋根(やね)を突破(つきやぶ)りて屋上に登りしが両親が尚(な)ほ孫(まご)を抱き水に 浸(ひた)りて二階に在れば某が屋根の穴(あな)より疾く此処より登(のぼ)らるべし と勧(すゝめ)めたるに両親は吾等(われら)は兎も角先づ此の孫(まご)を助けよと差挙ぐ るをイヤ孫も孫なれど二方(ふたかた)も疾く〳〵と勧(すゝめ)めて彼此する内に第 二の波濤(はたう)来りて忽ち家屋(かをく)を持去り某は幸に屋上(やじやう)より樹木(じゆもく)に取付 て助かりしも樹上より助ける事もならずして両親(りやうしん)と愛子が其家 と共に流(なが)され行くを見送(みおく)りたる時の心中(しんちう)如何にありけんと聞(き)く 者為めに涙(なみだ)を流さるは莫し(挿図参看) 帆船に押送(おしおく)らる  釜石町にて某家の手代(てだい)は当夜火事と思違へ て倉(くら)の屋根に上りたるに其倉と共(とも)に引浚(ひきさら)はれて漂流(へうりう)しつゝあり たるに一隻の帆船(はんせん)此方へ向けて勢鋭く流(なが)され来りしかば此|船(ふね)を 打付けられては所詮(しよせん)逃(のが)れ難からんと危(あやぶ)み居たるに却て其帆船の 【下段】 為(た)めに倉を押送(おしおく)られて山腹(さんぷく)に寄付きたるより直に樹の枝(えだ)に飛付 きて辛(から)くも一|命(めい)を全ふしたるよし ○鈴子製鉄所  鈴子(すゞこ)製鉄(せいてつ)所長(しよちやう)の話に当夜海嘯の起(おこ)る前(まへ)震動の 声甚しく尋(つい)で処々|泣号(きふがう)の声聞えしかば走(はし)つて堤上に到(いた)るに電信 柱に取付(とりつ)き助を求むるもあり橋(はし)の乱杭に取付(とりつ)くもあり其中(そのうち)に船 舶材木等追々|流(なが)れ来(きた)りし故最早や猶予(いうよ)ならずと帰(かへ)つて職工をし て所々に火(ひ)を焼(た)かしめ又|釜石(かまいし)の方(かた)にも火を焼くべしとて数(す)ヶ所 に篝火(かゞりび)挙(あ)げしに之れを見(み)て助(たす)かるを得(え)しもの八九十人もあり其(そ) れより又た馬(うま)の飼料(しれう)造(つく)る大なる釜(かま)にて粥を煮(に)て所々に配付(はいふ)した り又製鉄所の備蓄米(びちくまい)百石許り流(なが)され其外(そのほか)流されたる材木(ざいもく)鉄鉱も 夥しく此騒(このさわぎ)にて本製鉄所にての損失(そんしつ)は四万二千|円(えん)なりしと(挿 図参看)    ●水海、両石 水海は鳥谷坂の北麓(ほくろく)なる一小村にして戸数(こすう)十六、人口|約(およそ)一百あ り毎戸多くは農(のう)を業(げう)とし傍ら製塩(せいえん)を営み居たる由(よし)なるが十五日 の午後八時卅分頃|俄然(がぜん)として大海嘯|襲来(しふらい)し全村を壊滅(くわいめつ)し僅に八 男一女を存(そん)するに過ぎす而(しか)も皆(みな)負傷(ふしやう)せざるはなし当時潮高十余 丈に達し怒濤(どとう)岸(きし)を掠めて大木(たいもく)を抜き家屋を微塵(みぢん)にしたるの跡、 尚ほ斑〻(はん〳〵)として見るに余(あま)りあり吁|是(こ)れ何等の悲惨(ひさん)ぞや 両石村は水海の北方(ほくはう)両石湾に瀕せる一|漁村(ぎょそん)にして戸数百廿九、 人口八百四十なりしか辛(かろ)うして流失の難(なん)を免(まぬが)れたるは民戸僅に 二、危機(きゝ)一|髪(ぱつ)の間幸に生(せい)を拾(ひろ)ひたるも男女(なんにょ)一百卅九人のみ、又 建物の流亡(りうぼう)せしもの百五十七、船舶(せんぱく)の大破損四、流壊(りうくわい)五十四な りとす殊に田中(たなか)製鉄所(せいてつしょ)の所有に係る伊勢丸(いせまる)(三百噸)は当日洗鉄 を搭載(たうさい)し将に抜錨せんと欲(ほつ)せしも雲霧(うんむ)の為め果(はた)さすして同湾に ありしに端(はし)なくも今回(こんくわい)の時変に遭遇し恋t峠の麓(ふもと)に簸揚せられ船 体全く粉韲(ふんさい)せし為船長|以下(いか)乗組員(のりくみゐん)一同に哀なる惨死(さんし)を遂(と)げ十四