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【右頁上段】
県|以北東海岸(いほくとうかいがん)海嘯被害実地視察として属官(ぞくゝわん)二名技手一|名(めい)を随へ
急行被害地に赴(おもむ)きたり
○震災予防調査会の被害地視察 文部省内(もんぶしやうない)に設置しある震災(しんさい)
予防|調査会(てうさくわい)にては海嘯被害地視察を理科大学(りくわだいがく)地質学科(ちしつがくゝは)第三年生
伊木|常誠氏(じやうせいし)に嘱託(しょくたく)出発せしめたり
○海嘯調査員派遣 帝国大学(ていこくだいがく)にては理科大学地質科|学生(がくせい)及(およ)び
助教授|神保小虎氏等(しんぼうことらしら)を学術研究の為(た)め海嘯|実況(じつきやう)調査の為め被害
地に赴(おもむ)かしめたり
○赤十字社支部員の出張 日本赤十字社(にほんせきじうじしや)仙台支部にては海嘯
の為め負傷(ふしやう)せる人民の救護(きうご)として十六日|事務員(じむゐん)医員|看護婦(かんごふ)等を
罹災(りさい)地方へ夫々|出張(しゆつちやう)せしめたり
○伊達家の被害調査 旧仙台藩主(きうせんだいはんしゅ)伊達家(だてけ)に於ては旧領地(きうれうち)たる
宮城岩手|両県下(りやうけんか)が今回の災厄(さいやく)を被りしにより相当の救助(きうじょ)を為す
筈にて実地|調査(てうさ)として此程|家扶(かふ)一名を被害地へ向(む)け出張せしめ
たり
○南部伯以下出発 旧盛岡藩主(きうもりをかはんしゅ)伯爵南部利恭|旧(きう)七戸藩主子
爵|南部信方(なんぶのぶかた)旧八戸藩主子爵南部利克の三|氏(し)は今回(こんくわい)旧藩地の海嘯
被害に付(つ)き一|方(かた)ならず心配し種々(しゆ〴〵)協議(けうぎ)の上南部伯は一|家(か)の総代
として同県|選出(せんしゅつ)阿部(あべ)代議士等と共(とも)に被害地に赴(おもむ)かれたり
○自由党の特派員 自由党(じゆうとう)にては海嘯|惨害(さんがい)の情況視察と地方(ちはう)
党員|見舞(みまひ)とを兼ね江原(えばら)素六武者(そろくむしゃ)伝次郎(でんじらう)の両氏外一名を特派せし
めたり
○国民協会の視察員 国民協会(こくみんけうくわい)にては海嘯|被害地(ひがいち)視察(しさつ)として
幹事|薬袋(みない)義(き)一|氏(し)を派遣せり
○首藤代議士の被害地巡視 宮城県|撰出(せんしゆつ)代議士|首藤陸(すどうりく)三氏は
先頃来(さきごろらい)島根県に遊説中なりしが撰挙区(せんきょく)に於ける大海嘯の報(はう)に接
し昼夜|兼行(けんかう)にて帰京し進歩党(しんぽとう)本部(ほんぶ)に於て諸般の打合(うちあはせ)をなし直ち
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に被害地へ向(む)け出発(しゅつぱつ)せり
○軍医憲兵等の出張 第(だい)二|師団(しだん)にては被害者|救助(きうじょ)の為め特に
後藤一|等(とう)軍医|外陸軍(ほかりくぐん)々医二名、看護長(かんごちやう)二名、看護人十五名を去
る十七日|宮城県(みやぎけん)本吉郡志津川町へ出張(しゅつちやう)せしめ又|仙台(せんだい)の憲兵隊
よりも岩井|憲兵大尉(けんぺいたいゐ)が曹長憲兵五名を随(したが)へて被害地へ去(さ)る十六
日|出張(しゆつちやう)したり
○宮城県出張所の設置 同県(どうけん)にては罹災者(りさいしゃ)救護等の為(た)めに去
る二十日一|坂書記官(さかしょきくわん)を海嘯被害|事務(じむ)取扱(とりあつかひ)委員長と為し且つ気仙
沼、志津川の両地(りやうち)へ出張所を設(まう)けて山田|収税長(しゅぜいちやう)を気仙沼出張所
長に、河村|参事官(さんじくわん)を志津川出張所長に命(めい)じ属官|警部(けいぶ)数名づ〻を
孰れも其部員(そのぶゐん)と為したるよし
○被害各方面の県官 岩手|県庁(けんちやう)にては応急(おうきう)処置に就て配慮す
る所あり樋脇(ひわき)警部長(けいぶちやう)は気仙郡に村上(むらかみ)参事官は釜石(かまいし)山田方面に出
張し夫(そ)れ〳〵救助に尽力(じんりょく)し警部一戸|武雄氏(たけをし)は盛町付近に同高橋
之善佐土原親則の二|氏(し)は髙田(たかだ)今泉(いまいづみ)に同大久保政経氏は唐丹(たうに)小白
浜|付近(ふきん)に同岩間重次郎氏は大槌(おほづち)町に同小崎順氏は宮古鍬(みやこくわ)ヶ崎山
田に同久保田和喜人氏は山田(やまだ)大槌(おほづち)両町に同高橋誠一郎氏は小本(こもと)
田老(たろう)に同|樋田(ひだ)秀実氏(しうじつし)は南九戸地方に何れも巡査(じゅんさ)数名(すめい)を引率昼夜
兼行にて出張(しゆつちやう)したり
○三県出身在京有志会 海嘯(つなみ)被害地(ひがいち)宮城岩手青森三県|出身(しゆつしん)の
在京|有志者(いうしゝや)は去(さる)廿日午後一時より新肴(しんさかな)町開花亭に集会(しふくわい)して罹
災民の救助(きうじよ)方法(はうはう)を協議せしか当日(たうじつ)出席者は武者(むしゃ)伝次郎千葉胤昌
吉田正章、佐藤|琢二(たくじ) (以上宮城)南部晴景(なんぶせいけい) (南部家々令)佐藤昌
藏、阿部浩、鵜飼節郎 (以上岩手)藤田|重道(しげみち)、原十目吉 (以上青
森)等(とう)其他(そのた)数名にして左(さ)の救助(きうじょ)手続(てつゞき)を議決し千葉胤昌|氏(し)は即夜
仙台(せんだい)に向(む)け鵜飼氏は翌日(よくじつ)青森に向け各(おの〳〵)出発したり
三陸海嘯罹災人民救助手続
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一 宮城、岩手、青森三県下の海嘯罹災人民救助に関する政府への交渉及請願の運
動は三県撰出の代議士諸氏主として之に任し他の有志者は之か応援を為すへし
一 事務所を東京々橋区南鍋町一丁目八番地に置き罹災上に関する調査を為し且
其の事務を処理するものとす
一 事務所の経費は代議士諸氏及其他有志諸氏の醵金を以て之に充つるものとす
一 事務所は代議士諸氏の意見に依り政府への交渉及請願の容れられたるを機と
して解散すへし
一 事務員は帝国済民会事務員之に当る
●軍艦の視察
○軍艦和泉嘯害地に向ふ 常備|艦隊(かんたい)の軍艦|和泉号(いづみごう)は過般来日
本海の各港湾(かくこうわん)巡航中の処、司令長官(しれいちやうくわん)の命に依(よ)り海上に於ける
救助|及(およ)び状況|視察(しさつ)として海嘯被害地に向(む)け急航(きうこう)せり
○軍艦龍田 は海嘯|原因(げんいん)調査(てうさ)等の為め三|陸(りく)東海岸(とうかいがん)巡航の命を
受け萩(はぎ)の浜(はま)に向け横須賀(よこすか)を抜錨したり
○軍艦筑紫号 も同(おな)じく海上(かいじやう)視察の命を受(う)け出発したり
●外国よりの見舞
○各国公使の電報 今回(こんくわい)の海嘯につきて我国|駐箚(ちうさつ)の各国公使
が何れも其本国(そのほんごく)へ電報したりと云(い)ふ
●英国皇帝陛下の御傷悼 今回(こんくわい)三陸地方|非常(ひじやう)海嘯の災(さい)に罹り
たるに付(つ)き我(わが) 天皇陛下|大(おほひ)に宸襟を悩(なやま)させられしか早くも英国
天皇陛下の叡聞(えいぶん)に達(たつ)し我 天皇陛下|竝(ならび)に我邦臣民と感情(かんぜう)を同く
し痛悼(つうたう)に堪へざる旨(むね)本邦駐箚サール、アルネスト、サトウ公使(こうし)
に訓令(くんれい)して慰問の詞(し)を寄(よ)せられたるに依(よ)り宮内大臣(くないだいじん)は之を奏上
せしに 天皇陛下は英国(えいこく)皇帝陛下が我(わが)皇室の憂慮(いうりょ)と国民の艱苦
とを以(もつ)て念(ねん)とせられたる友誼(いうぎ)の懇到なるに対(たい)せられ睿感斜なら
す思召(おぼしめ)され同公使を経(へ)て親厚(しんこう)の謝意を英国皇帝陛下に致(いた)すへき
旨|御沙汰(ごさた)に付き宮内大臣は直(たゞち)に之を同公使に通知(つうち)せり
○佛国大統領白国皇帝の御見舞 三|陸(りく)の海嘯に付(つ)き佛蘭西大
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統領及ひ白耳義(べるぎい)より傷悼の意(い)を表(へう)する旨各本部|駐在公使(ちうさいこうし)をして
外務省に申出(まうしいだ)さしめられたり
○外人の視察 京浜(けいひん)在留(ざいりう)の外人にて今回の被害地(ひがいち)に致(いた)り親く
視察せん為め旅行券(りょかうけん)の下付を出願(しゆつぐわん)するもの多き由(よし)なるが其重
なるは宣教師(せんけうし)なりと
○清国皇帝の悼詞 清国(しんこく)皇帝陛下は我(わが)東奥三陸|地方(ちほう)大海嘯|災(さい)
害(がい)の電報を聞(きこ)し召(め)され我 天皇陛下|并(ならび)に我邦臣民と傷悼(せうたう)の情を
同くし痛哀の至(いた)りに堪(た)へさる旨|同国公使(どうこくこうし)裕庚氏をして我
天皇陛下の叡聞(えいぶん)に達すへき旨|訓令(くんれい)ありしに付(つき)公使(こうし)は六月三十日
午後一時三十分|宮中(きうちう)に参内し親(したし)く鳳凰の間に於て陛下に謁見右
叡聞に達(たつ)し奉(たてまつ)りしに陛下には清国(しんこく)皇帝陛下が友誼(いうぎ)の懇到なるに
対し叡感(えいかん)斜(なゝめ)ならす被思召旨直ちに同公使(どうこうし)に御沙汰ありし
●義捐
○各大臣の義捐 今回(こんくわい)三|陸(りく)の災変に付(つ)き伊藤首相は金(きん)百五十
円其他の諸大臣(しょだいじん)及黒田枢相は各〻(おの〳〵)金百円づゝ|義捐(ぎえん)せられたり
●外国義捐
○布哇公使の義捐 布哇国(はわいこく)公使(こうし)アーウキン氏(し)は三陸海嘯|罹災(りさい)
者(しゃ)の為(た)め金二百円を義捐(ぎえん)せられたり
●追悼会
○三陸災死者追吊会 遠州(ゑんしう)周智郡(すちごほり)曹洞宗第四|中学林(ちうがくりん)にては三
陸|災死者(さいしゝや)の為め去る廿一日|大追吊会(だいついてうゑ)を執行せりと云ふ
○海嘯罹災者追吊会 何礼之、河瀬秀治|其他(そのた)諸氏(しょし)の発起にて
芝区|愛宕下(あたごした)の青松寺にては廿七日午後一時より三陸海嘯|罹災者(りさいしゃ)
追吊(つゐてう)法会(ほうゑ)を催し尚(なほ)大内青巒|居士(こじ)の追吊|演説(えんぜつ)ありたり
○書【曹の誤字か】洞宗の吊葬導師 今回(こんくわい)の災害に付(つ)き曹洞宗宗務局よりは
右|吊葬(てうさう)の為め岩手県へ導師六名宮城青森両県へ各(かく)三名|宛(づゝ)出発せ
しめたり