翻刻
以て微号と為す。即ち徳川氏の家紋三葵発生の所以なり。
糟 塚 砦 (小坂井砦)
所在地 宝飯郡小坂井町字樫王
小笠原三九郎の守城にして、永禄四年五月、本多彦三郎広孝、酒井雅樂助正親を援けて吉良の
剛将冨永伴五郎忠元と戦ふ。翌永禄五年徳川家康吉田城攻撃の際、本拠を一時此に置けり。
篠 束 城
所在地 宝飯郡小坂井町字篠束
西郷内蔵之助俊雄同彦三の居城なり。
一 宮 砦
所在地 宝飯郡一宮村字宮前
永禄七年徳川家康の築くところにして、本多百助信俊、同弟隼人佐の居城なり。家康、信俊に
兵五百を添へてこれを守らせしも、今川氏眞五千余騎を以て攻め囲む。家康これを聞き、自ら
兵を率ひて、今川氏の大兵を打ち破りて、道を開き、一宮に達す。後元亀二年五月、武田信玄
来り攻む。
牧 野 城
所在地 宝飯郡豊川町市場字横町
応永四年桜間助成遠讃岐国より牟呂港に着船、当城を築き牧野と称すといふ。今川氏に属し、
東三河四郡を領す。
市 田 城
所在地 宝飯郡八幡村市田
牧野四郎左衛門尉の拠城なりといふ。
八 幡 砦
所在地 宝飯郡八幡村八幡
往古大江定基住居すと伝ふ。永禄五年、板倉弾正、同主水守の拠城たり。同年の春、仁連木の
戸田、牛窪の牧野と共に、兵を小坂井の東岡に出し、松平氏の将酒井左衛門尉忠次の兵と戦ひ、
大に之を破る。然るに松平氏三千余騎を率ひて来り攻めければ、敗北してかへりけり。同年九
月再び松平勢と赤坂に戦ひ破れて、遂に松平氏の有に帰す。同七年五月吉田城主小原肥前守来
り攻めて、これを陥れ、三浦左馬助をしてこれを守らしむ。