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【左ページ上段】
て。本所、深川、隅田川以東の地、悉く浸水し。土も未だ乾か
ざるに。本年十月九日午後十一時。またもや利根川の増水に。
権現堂の堤防は空しく破壊せられたりとの飛報ありたり。此報
の伝はるや。府下南葛飾郡隅田村役場にては。同村の要所々々
へ。権現堂堤破れたり云々との張札(はりふだ)を為したるにぞ。村民は大
に驚き。安き心もなかりしかば。千住警察署及び寺島村巡査派
出所にては、両村役場に交渉し。万一の場合には。警鐘を打鳴
らすべきことを村民に伝へたりといへり。向島の土手には。別
に其筋の警戒もなかりしが。只だ白鬚神社畔(しらひげじんじやほとり)の堤上に。寺島村
役場と書したる高張提灯を地上に立て。吏員一ニ名村民数名の
佇立し居るを見受けたりとか。市中にても。堤の由来知れる老
人は。スワ一大事よと騒き立ちて。家財を取片つけし向もあり
て。人心為めに恟々(きやう〳〵)たりしが。右は関宿権現堂堤の中間なる。
入樋順禮堤防の決壊せしまでにて。よしや被害は大なりしも。
幸ひに禍ひを東京府下に及ぼすに至らざりしのみかは。防水工
事其|宜(よろ)しきを得て。僅かに之を堰止めたり。今其詳報を記すべ
し。
▲権現堂川筋の増水 暴雨の為各地諸川共に非常の増水ありた
るが中にも。渡良瀬(わたらせ)、利根(とね)の二川は。権現堂川筋に於て。平水よ
り一丈三尺を増したれば。権現堂堤下は。宛然(さながら)湖海の如く。濁
流滔々として渦巻(うづま)き流れ。如何なる異変を生せんも測られざれ
ば。幸手(さつて)町、権現堂、吉田、行幸(みゆき)等各村の村民は。何れも万一を
警戒し居(ゐ)たるに。十月九日午後十一時頃に及びて。水勢益々加
はりたれば。一同は手に〳〵提灯(ちやうちん)、松明(たいまつ)を振翳(ふりかざ)し。要所々々に
詰掛(つめかけ)けたり。
▲順禮入樋 権現堂堤決壊の模様を記すに先ち。此度決壊し
たる入樋の所在を説明するの必要あるべし。同入樋は。行幸堤即
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ち明治十年の設立(せつりつ)に係る行幸(みゆき)の碑の在る所より。東方約四丁の
所に設(もう)けられたる水門にして。以前は木造(もくざう)なりしを。某技師の
設計に基き。更に煉瓦(れんぐわ)に改造し。去る四月中始めて竣工したる
ものなり。扨権現堂堤の外側(ぐわいそく)には。更に掻上堤なるものあり
て。利根川より引用(いんよう)する俗称羽生落しの用水に沿ひ。利根川よ
り逆流(ぎやくりう)して。羽生落しに合する。逆用水堀の落口及び同落口の
土手一町の処より。引入(ひきい)るゝ幅十間程の用水口は。各橋を以て
綴(つゞ)られあり。而して此後者の水は。権現堂堤の下を通(つう)じて。堤
内各村の灌漑(くわんがい)に供せらるゝものにして。此度決壊(こんどけつくわい)したる場所
は。此用水の水門(すゐもん)即ち俗称順禮入樋(ぞくしやうじゆんれいゝりひ)なり。
▲決壊当時の模様 斯(かく)て村民は。一同権現堂堤に集りて。警戒
をさ〳〵|怠(おこた)りなかりしに。九日午後十一時とも覚(おぼ)しき頃。順禮
入樋に当り。周囲(しうゐ)三間許の罅隙(きよげき)を生じ。濁流是より進入して。
追々|崩壊(ほうくわい)の模様ありと伝ふるものありたれば。其(そ)は由々敷大事
なりとて。何れも此所(こゝ)に集(あつ)まりて。杭を打ち土俵を入れ。漸く
にして喰止(くひと)むる事を得たるに。其翌十日午前八時頃。前記掻上
堤より入樋に注ぐ。掘割(ほりわり)に架(か)せる木橋落(もくげうお)ちて押流され。見る〻
〻入樋に突当(つきあた)りたれば。左なきだに危(あや)うかりし入樋は。茲に忽
ち打砕(うちくだ)かれ。同時に堤防十間が程決壊して。波浪(はらふ)一時に水田を
蔽ひ。四方に氾濫(はんらん)したるが。水流は東南、西南の二道に分れて。
一方は幸手、行幸、上高野(かみかうや)方面に。一方は権現八代、吉田方面
に向ひたり。
▲防水工事 是に於て幸手警察署々長武田氏は。直ちに非常
巡査を召集(せうしう)して警戒せしめ。一方には埼玉県庁に急報(きうほう)すると共
に。幸手、権現、行幸、八代、吉田等の消防夫千人許を駆り集
め。只管(ひたすら)防水に尽力(じんりよく)中。県庁より派遣の田村組の人夫二百名許
到着し。消防夫に力を合せ。午後一時頃より兎に角水勢を殺減