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する為め。先づ利根川より羽生落(はぶおと)しの入口及び逆用水堀の入口
の二個を堰止(せきと)むる事となし。其大半を終(をは)りたれば。此度は更に
前記落橋したる所に堰を設くる事とはなりぬ。
▲夜中工事の光景 濁流(だくりう)の恐ろしき音を起して流れ行く内を。
人夫は堤の東西に馳(は)せ廻(まは)りて。互に相呼号し。篝(かゞり)火の焔(ほのほ)に天を
焦(こが)して。惨憺たる夜の景色。五日の月は微(ほの)かに照して。水光更
に凄(すさ)ましかりき。 (挿画参看)
▲再度の破壊 此防水工事は。夜十二時頃に至りて。其大半を
竣工(しゆんこう)し。今一息と云ふ所に及びたる時しもあれ。水勢は一時に
此処に注集(ちうしう)して。折角|出来上(できあが)らんとせし工事を。瞬く間に押崩
し。恐ろしき響(ひゞき)と共に杭(くひ)及び土俵の全部(ぜんぶ)を奪去りたれば。一旦
退減したる浸水(しんすゐ)は。再び其水嵩を高め。近くは八代村全部を浸(ひた)
し。遠くは二里余の彼方(かなた)なる堤郷村に達(たつ)するに至れり。
▲浸水区域 最初の破壊(はくわい)にて浸水(しんすゐ)したる村落は。権現堂村、幸
手町、行幸村、上高野村一部、八代村、吉田村一部に止まりし
も。二度目の崩壊(ほうくわい)の為め。更に田宮村、堤郷村、杉戸町、高野
村、桜田村をも浸(ひた)して。其区域実に十一箇村に及びたるが。右
の内最も被害(ひがい)の多きは。幸手町、権現、八代、吉田の三箇村にし
て。其浸水家屋は。権現堂村三十五戸、幸手町十一戸、八代村
三戸、吉田村八戸なり。而して其他の各村は。何れも人家には
浸水(しんすゐ)するに至(いた)らずして。僅かに内庭(うちには)若くは畑を浸すに止まりし
と云ふ。
▲浸水家人の談話 権現堂村の内中新田|付近(ふきん)は。其被害最も
甚しき所なるが。或る浸水家人の語る所によれは。今にも堤防の
崩壊せんとする模様(もやう)ありと。人々騒ぎ立ちたれば。互に警戒を
加へ居たるも。一時|堰止(せきと)めたりとの報に接(せつ)し。何れも安心し居
たるに。翌日午前八時頃に至りて。突然(とつぜん)人々の泣き叫びて救(すくひ)を
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求むる声の聞(きこ)えたれは。何事(なにごと)ならんと表に飛出し見るに。洪水
なり洪水なりと呼(よば)はりつ〻。東西に馳せ廻る人々何れも生きた
る顔色(がんしよく)なく。兎角する内|濁流(だくりう)は早くも浪を起して奔馬(ほんば)の如に。
自分宅を目掛けて押来るにそ。コハ人事に非ずと怖れ迷ふ女子
供等を励(はげ)まして。家具を取片付(とりかたづ)くるやら畳を剥ぐやら。一時の
騒動一方ならざりしが。間もなく其出水(そのしゆつすゐ)も差したる大事に非ず
と聞(き)きて。漸(やうや)く安心の息を吐(つ)きたる程なりしと。
▲小屋を水門に投込む 入樋の決壊(けつくわい)するや。同じく防水の為
め働居(はたらきゐ)たる幸手町字馬の助町消防夫中山清次郎及び同人長男伊
三郎等は。必死(ひつし)となりて防水に尽力(じんりよく)したるも。何分防水用材の未
だ完備し居らざれば。此上(このうへ)は猶予(いうよ)なり難しと権現堂堤の下に。
一軒の小屋(こや)ありしを幸ひに。早速防水用材にせんとて。七八十
名の消防夫等は。エイヤと声(こゑ)を出して。右の小屋を破壊(はくわい)の場所
にまで持行(もちゆ)き。七八間の高き堤上より。渦巻(うづま)く水中に投込みた
り。然るに前記伊三郎外ニ名の者は。如何にしてか小屋の陥落
する際(さい)跳(は)ね飛(とば)されて。小屋諸共水中に陥り。小屋は見る間に水
勢に圧せられ。凄(すさ)まじき音とともに忽ち微塵(みぢん)となつて。折角の
苦心(くしん)も其効なくして。下流に押流(おしなが)され。伊三郎外二名も僅かに
木片に取付(とりつ)きたる侭。渦巻く水に揉(も)まれつゝ。二町許り押流さ
れ。其内二名の者は。辛(から)うして陸に泳付(およぎつ)きたるも。伊三郎のみ
は遂に溺れて。其姿(そのすがた)を見せずなりたれは。夫より一艘の小舟を
以て捜索(さうさく)したれとも発見せられさりし。
▲渡舟破れ助役水に溺る 権現堂堤崩壊したりとの報に接す
るや。埼玉県庁書記官警部長等は。夫々実地検分として出張あ
り。中(なか)にも幸手町役場員鈴木潔氏も現場に来り種々取調ふる処
ありしが。右了りて掻上堤(かきあげつゝみ)より向ふの土手に渡らんとし。四五名
の者と共に小舟(こぶね)に打乗りたるに。船頭の不熟(ふなれ)なりし為め。川の中
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流にて棹(さを)を取られ。アワヤと云ふ間に舟は落橋(らくけう)の場所に押流さ
れ。其所に打込(うちこ)み在りたる杭の為めに舟底を破られ。舟は見る
間に転覆(てんふく)したるより。乗合(のりあひ)の人々は素早く杭に取付きたるも。
鈴木は独り舟底(ふなそこ)に縋りし侭押流され。太(したゝ)か水を飲みたるを。人
夫共馳せ集まりて。漸く救ひ上げたりと。
▲二度目の工事 二度目の防水工事は。直ちに着手せられた
り。殊に翌日(よくじつ)は。利根川の水嵩も頓に減じて。平水より二尺許
を増せるのみとなりたれば。工事も随つて捗取り。権現堂堤防
は既に危険の虞なし。
▲村民(そんみん)の激昂(げきかう) 今回決壊せる権現堂樋管(ごんげんだうひくわん)は。昨年十月起工し
本年四月に竣工(しゆんこう)せる者(もの)にして。未(いま)だ一ケ年を経過せざるに決壊
せしは。工事(こうじ)の不完全(ふくわんぜん)に基因(きゐん)することは一|般(ぱん)に認むる所なり。
元来該工事(ぐわんらいがいこうじ)は、去る二十三年頃まで、北葛飾郡に郡長たりし。
須藤秀三郎なるものゝ請負ひにして、県会議員新井愛太郎之を
保証(ほしよう)し幸手町の野村絢三外六名工事を監督せり。然るに同工事
の請負(うけおひ)に就(つい)ては競争甚だしかりし上。須藤は己れの設立せる煉
瓦会社製造の煉瓦(れんぐわ)を売付(うりつ)け。権現堂地方村民中には。工事に要
する土砂(どしや)を売付(うりつ)けんと計るものありて。須藤と村民と相謀議し
遂(つい)に工事(こうじ)を請負ふに至りたり。而して工事費は九千九百余円を
要(えう)しながら。実際(じつさい)七千円以内にて工事を仕上げたることは。蔽
ふべからざるの事実なりとて。村民一同の激昂甚だしく。被害
民等は。須藤は捨置くも。保証人並に監督議員等に於て。改造
は勿論水防費並(もちろんすいぼうひならび)に被害地(ひがいち)の弁償(べんしよう)の談判を開始せんとの意気込み
なり。また八代村(やしろむら)は元来(ぐわんらい)八ケ字の連合村にて。天神島は隣字平
須賀神扇等の為めに用水悪水路を遮断せられ。村道を突立られ
たる故神扇(ゆゑしんせん)は草履(ざうり)にて歩行(ほかう)することを得るにも係はらず。天神島
は浸水家屋(しんすいかおく)多く。全村は湖沼(こせう)の如(ごと)くにて。若し天神島の方に向て
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平須賀神扇より舟(ふね)の一|艘(さう)たりとも向ひ来るを見れば。右突切の
箇所(かしよ)を切(き)りに来(きた)りたりと唱へ。警鐘梵鐘等を乱打し。群集する
輩(はい)は。各自仕込杖鉄砲或は鎗竹槍或(やりたけやりあるひ)は帯刀(たいとう)などにて推寄せ来り
一時は殺気充満せりと云へり。
決壊堤防は、速かに防止したれば、既に氾濫の杞憂なし。沿岸の
諸部落は。浸水の為め。著しき被害を免かれずと雖も。余勢は
遂に府下の低地をして水底に葬むるに及ばしめず。吾人はこゝ
に被害地の惨状を弔ふと共に。府内の恙なかりしを祝すべきな
り。
◎日本鉄道会社汽車の顛覆
十月七日即ち暴風雨の当日午前十一時。福島駅に向ひ上野駅を
出発せし列車が。午後五時頃下野国矢板野崎両駅間なる箒川(はゝきかは)鉄
橋に抵(いた)りしに。暴風雨は一層の度を加へ。天地も覆(くつ)へらむ物凄(ものすご)
さに乗合せし人々は。安き心とてもなかりしに。列車は。汽罐
車二両、貨車十両、客車八両を繋ぎ鉄橋を渡りて。橋径の半ば
に達せむとする時。忽ち猛烈(もうれつ)なる風力の為めに煽られて客車は
顛覆(でんぷく)し。轟然(がうぜん)たる響(ひゞき)と共に逆捲く激流(げきりう)へ墜落(つゐらく)せり。左に序を逐
て其の実況を記述すべし。
●遭難地の地勢
遭難地は。東京上野駅を距る八十八哩十二鎖 (矢板の北三哩)に
在りて。南に塩谷郡泉村大字山田松原山と称せる巌層(がんそう)より成
れる丘陵(きうりよう)を負ひ。北は那須郡野崎村大字|薄葉(うすは)に界す。箒川は其
中央を流れ西より東に亘れる急流(きうりう)にして。之に架する鉄橋は。
長さ千零四十八呎。橋柱の高さは。基礎(きそ)より平均二十八呎。水
面より高きこと二十呎なり。橋台の間七十呎。鉄桁十四連より
成る。其の線路(せんろ)は。松原山の十数丈高き岩層を切開き。直に鉄