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【右ページ上段】
者もあらん。而して九日午前までに判明したる死傷者六十八名
と対照(たいせう)すれは。乗客数(じやうかくすう)は多分百名内外ならんか。
●箒川筋大捜索の模様
十日午前八時頃より栃木県保安課長田上廉夫氏は警官消防夫人
夫等合計七十名を率(ひきゐ)て野崎駅に至り。是を三組に別(わか)ちて下流五
里内外の大捜索(だいさうさく)に従事(じうじ)せり。今回の大捜索は。唯だに死体のみ
に止(とゞ)まらず。中には僅かの片袖残(かたそでのこ)り居りたるため其の惨死(ざんし)を知
りしごとき例あるに依り。苟くも目に止まりたるものは。一物
をも余まさず。拾収(しふしう)するの目的を以てせるものなれば。先づ三
組を左右岸及び中流(ちうりう)に配置(はいち)し。中流は船にて捜索(さうさく)せんとせしも
如何にせん船一艘もなく。大(おほい)に困難(こんなん)せしが。漸く小なる渡船(わたしぶね)一
艘を徴発(ちようはつ)し透水鏡(とうすいけう) (水底まで見得るもの)を以て捜索に従事(じうじ)し。
左右岸は手に〳〵に一丈有余の竹竿に鉸(かすがい)を付したるものを持た
しめて。水中を捜らしめ。特に岩窟(がんくつ)或は砂中其の他|磧洲(せきしう)の所な
どは。最も意を注ぎて捜索せしめたるも。遂に死体は一も発見
することを得ざりし。尤も遺留品(ゐりうひん)は数限(かずかぎ)りなく発見(はつけん)することを
得たり。
●遭難死傷者の姓名
日本鉄道会社に於て取調べし死傷者の住所姓名并に年齢は左の
如し。
北海道庁函館区末廣町十三番地 石坂 善吉 (四十)
茨城県真壁郡養蚕村大字成田七番地 豊田 勘彌 (三十)
栃木県芳賀郡真岡町大字高間木一番地高松平三郎養女
高松 ミサ (十四)
同県同郡同町同字 高松 駒次 (五十七)
群馬県前橋市田中町六十四番地 福島彦三郎 (五十四)
茨城県久慈郡幸久村大字上河合十番地政平長女
【右ページ下段】
内桶 スミ (二十四)
福島県岩瀬郡大屋村大字日和田七十一番地
渡部紋之助 (六十三)
同県同郡同村同大字八十六番地 渡部 ヒサ (四十八)
同県同郡同村同大字五十六番地 渡部 クマ (四十八)
同県同郡同村同大字三十九番地 星 テツ (六十)
栃木県那須郡野崎村大字上石上二十八番地
永島 儀八 (四十八)
同県同郡同村同大字同番地 永島 タツ (二十)
福島県岩瀬郡大屋村大字日和田四十七番地
金子吉次郎 (六十一)
栃木県塩谷郡箒根村 印南 平七 (三十一)
山形県東置賜郡漆山村 多勢吉次郎
福島県伊達郡福田村大字羽田 菅野 文次 (二十五)
以上即死
又負傷者の傷所並に其の姓名を記せは左の如し
神野病院収容の分
福島県伊達郡伏黒村 軽傷 松浦賢四郎 (三十二)
左頭顱の輪腫起、左大腿外側長さ六分打撲横二寸七分
茨城県那珂郡東中村字岩瀬 軽傷 日向 覺治 (二十六)
右前額部擦過傷、左肩胛外側の擦過創、左肋骨部より左腹部に亘る打撲腫起
東京市下谷区南稲荷町 同 黒屋亥年作 (二十五)
顱頂骨縫合左傷長さ一寸二分右頭顱部打撲腫起右前膊外側打撲傷右手背側第二
腫起左拇指第三節より腕内節に至る打撲傷
茨城県真壁郡下館町 軽傷 川崎喜一郎 (二十六)
右顱頂結節部打撲傷長さ一寸二分右大腿外側の打撲腫起、下腿内側部中三分の
五打撲腫起
水戸市上市白銀町 重傷 廣瀬 熊吉 (四十)
【左ページ挿画】
【上段説明:右から左へ横書き】
宇都宮駅へ負傷者到着の図
【下段説明:右から左へ横書き】
負傷者客車中にて治療するの図