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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - ページ 24

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【左ページ上段】 三十五名に相当手当を施したる後。日本鉄道会社嘱託医神野勇 三郎氏に引渡し。一隊は翌八日午前十一時。一部は跡始末をな し同日午後七時引揚けたり。其の人員を挙れば左の如し。  準備看護婦編制委員長 (県立宇都宮病院長)                    栗本庸勝  同    教員 (同副院長)     井上槌蔵  同    教員 (同医員)      山方喜太郎  同    教員 (同医員)      長野栄三  同    教員 (同医員)      大久保守夫         (同雇)       長島吉十郎  準備看護婦             六名  栃木支部主事            江夏喜蔵  同 書記              小林久太  準備看護婦取締助手         黒川善七   外看護婦一名、同生徒五名、小使二名     ●県立宇都宮病院 栃木県立宇都宮病院は。市内江野町に在りて。明治五年の創立 なり。現在院長は。医学士栗本庸勝氏、副院長は。同井上槌蔵氏に して。規模宏大(きぼこうだい)なり。七日箒川に於て列車顚墜(れつしやてんつゐ)の凶報達するや。 直に赤十字社栃木支部看護婦を召集し。院長医員を率ひ現場に 出張し。神野病院長と共に傷者を救護し応急手当を施して一時 引揚たるが。神野病院既に満員を告げたるを以て内三名の負傷 者を預り之を治療せり。(其一名は。負傷者にして。右足を挫折(ざせつ) し。両手其他に負傷多し。医員(いゐん)の談に拠れば。経過良好(けいくわりようかう)なるを 以て数十日を出でずして。全癒(ぜんゆ)するに至るべしと。傷者は室井 ハツといひ。下野国那須郡那須野村の者なりと。病室(びようしつ)には二名の 【左ページ下段】 看護婦親族と共に看護(くわんご)しつゝあり。(挿画を参照すべし)同院の 現況を挙れば医員十三名。幹事、書記、雇、事務員、五名。薬 局七名。看護婦七名。同生徒九名等にして。病室総計四十室を 有せり。  因に記す。同院は。院長外科主任として。内科、眼科、産科、  婦人科、耳鼻咽喉科に区分し。尚ほ細菌学専門の医員を聘し。  院内に其実験室を設備せり。     ●神野病院            (挿画参看) 神野病院は。宇都宮市池上町に在り。明治二十九年四月の創立 にして。院長医学士神野勇三郎氏は。日本鉄道会社の嘱託医(しよくたくい)た り。今回箒川に於て列車顚落(れつしやてんらく)の報あるや院長は。直に部下の医(い) 員(ゐん)を率ひ現場に臨(のぞ)みて死傷者の検案(けんあん)をなし。収容(しうよう)したる負傷者 二十九名を入院せしめて治療(じれう)に看護(くわんご)に寝食(しんしよく)を忘れて日夜 尽力(じんりよく)し たり。又院長は十一日 遭難者(そうなんしや)一同並に医員看護婦等を蒐集して 記念の為め撮影(さつえい)をなしたり。同院の病室は総計一百八室あり て。現在職員の姓名を挙れば左の如し。  院  長 神野勇三郎  医  員 加登信太郎    同         島田富蔵  同    清宮徳太郎    同         伊藤孫次郎  医局助手 川俣鉄哉  庶務員  海野邦三郎    同         高須釘次郎  同    勝木信立  会  計 可児行貞  調剤員  北城音五郎    同         猪瀬三千雄  同    篠崎喜志知    同         吉川深美