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【右ページ上段】
看護婦 河島八重子
以下看護婦九名。付添婦二十一名。院丁二名。
●地方医の応急手当
箒川鉄橋に於て。汽車は無惨にも顛覆したりとの報。西那須野
停車場に伝(つた)はるや。同駅長本田美景氏は。斯(か)くと西那須野副院
長樋谷松三郎氏へ通知(つうち)したるに。同氏は直に薬局生其他を率ゐ。
同駅長と共に現場へ駈附(かけつ)けたり。こゝに栗本県立病院長。井上
副院長。神野病院長等は。数多(あまた)の助手(じよしゆ)を従へ。遭難(そうなん)場へ。到着
せしも。鉄橋容易に渉(わた)るべからさりしより。先(ま)づ箒川の西岸(せいがん)な
る橋傍に収容しありし負傷者(ふしやうしや)を見舞(みま)ひたり。其軽重傷者六名は。
既(すで)に同地方医船曳氏の応急手当を施(ほどこ)し置(お)きたるものゝよし。こ
れをも診察(しんさつ)せる折柄(おりから)。川の東方より太田原の医師毛利鐵久。田
崎某。白木某の三氏。鉄橋を経て来れるを見て。井上氏は初め
て其|通(つう)ずべきを知(し)り。直(たゝち)ちに烈風暗夜(れつぷうあんや)の危険(きけん)を侵(おか)して。鉄橋を
東に渉りたるに。同所薄葉の栄屋に二十人の重軽傷者ありて。
既に前記毛利。田崎。白木の三氏と同じく地方医たる阿久津某
齊藤某の五|医員(いゐん)にて。一々|応急手当(おうきうてあて)を了せし処なりしとぞ。惨(さん)
憺(たん)たる烈風強雨(れつぷうきょうゝ)の中に。県立病院並に会社嘱託医にも先むじて。
負傷者を手当したりし義侠(ぎきよう)ある地方医士(ちはういし)の機敏(きびん)なる働(はたら)きは。職
業柄とはいへ。感(かん)ずべきことにこそ。
●日本鉄道会社列車遭難に就て
佐藤博士の談話
今回の鉄道顛覆事件は。誠に痛悼に堪へざる事柄なれば。余は
当時微|恙(やう)の病床より身を挺して遭難地に向ひたり。凡そ此種の
遭難及び震災(しんさい)に由る負傷は。皮下骨傷を生ずること少なきも筋(きん)
肉(にく)の打撲(だぼく)及ひ挫骨(ざこつ)等を多しとす。是れ人の身体に打撃(だげき)を加ふる
物が。概して角形(かくけい)及び平面の鈍物体にして。鋭利(えいり)ならざればな
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り。従て縫合其他|精密(せいみつ)なる施術を要する場合は極めて少し。余
は岐阜の震災(しんさい)以来。此の種の変災応急の施術(しじゆつ)に経験あるを以
て。今回も機(き)を誤(あやま)らず負傷の種類を予想(よそう)し。外科器械医薬は勿
論外に副木、繃帯、担架等迄も用意せしめて出張し。神野病院を
始め県立及び共同病院等に充分の準備を加へて。之を患者収容
場と為したれば。患者に対する施術(しじゆつ)及び収容上、毫も差支(さしつかへ)を生
せざりき。即ち患者は挫傷打撲傷(ざしやうだぼくしやう)及び擦過傷多く。頭部重傷の
ものは即死なり。中には頭部に鋭利の切り傷を生じ鮮血淋漓た
るものあり。是は劇しく窓硝子(まどがらす)に触擦(しよくさつ)したるなり。併し予想よ
りも患者の少なかりしは何よりの慶事(けいじ)と謂ふべし。此の如き場
合に一般医師の注意すべきは。遭難現場に於て一々丁寧なる施
術をなすを止め。全患者に亘りて単に応急(おうきう)の略施術をなし。差
当り之を附近(ふきん)の寺院学校病院等に収容したる後。十分精緻なる
治療を施す事是なり。医師此用意を缺(か)くときは。少数の負傷者(ふしやうしや)
を救護(きうご)する為めに。他の残る多数(たすう)を見殺(みごろ)しにし。若くは非常の
重傷(ぢうしやう)に陥らしむる恐あり。兎角非常の変災(へんさい)に際しては。矢張り
戦場(せんじやう)と同じ注意を以て。臨機(りんき)の処置を取るの要あるなり。患者
はニ三人を除くの外。大抵今一週間を経過(けいくわ)せば。夫々|帰郷(きゝやう)する
を得るに至る見込(みこみ)なるが。総べて患者と云ふものは。一方に慎(しん)
重(ちよう)なる手術|看護(かんご)を要すると同時に。之をして安心(あんしん)を得せしめざ
る可らず。此度我輩の出張して一々|診察(しんさつ)したる事は。患者は勿
論其|親戚(しんせき)朋友の人にも安心を與へたる様子なり。尚ほ宇都宮の
神野病院長も余と共に尽力(じんりよく)したる人なれば。其名は特に記し置
かんことを望む云々。
●遭難者の直話
読売新聞記者が遭難負傷者の一人武藤一夫氏を其の寓麹町二丁
目六番地下宿業一ノ瀬多喜次 (通称黒河内屋ふみ)方に訪(と)ひ聞得(きゝえ)
【左ページ挿画】
【上段説明:右から左へ横書き】
神野病院負傷者入院の図
【下段説明:右から左へ横書き】
県立病院病室の図