翻刻
【左ページ上段】
たる所なりとて去月十日其の紙上(しじやう)に記載(きさい)せしを挙むに
氏遭難当時の模様を語(かた)つて曰く。御承知(ごしようち)の通りあの汽車は。七
日の午前十一時に上野を出ましたので。私は縞(しま)の綾羅紗の背広
に黒の袴(づぼん)を穿きまして。格別手荷物(かくべつてにもつ)も無く極身軽(ごくみがる)でした。汽車
の中では新聞を読んだり煙草(たばこ)を吹つたり。菓子を喰つたりして
居(ゐ)ましたが。三時頃宇都宮へ着(つ)きまして。それから四時頃。矢
板へ着いたのです全体ならば三時半に着くんだそうですが。四
十分|程遅(ほどおく)れまして。矢板を出たのは四時十分頃でも御座いまし
たらうか。この時は随分(ずいぶん)風も吹いてる様に思(おも)ひましたが。あん
な大風だらうとは知りませんで。間もなくあの橋の上に掛かり
ますと。俄(にはか)に汽車の腰掛(こしかけ)が持ち上がる様な心持(こゝろもち)がしまして。ス
ツと吹(ふ)き上(あ)げられる様になつて。それから身体(からだ)が逆まになつた
と思つたぎり後(あと)は何も覚(おぼえ)ませぬ。
氏は斯く語りて覚へず悚然(しようぜん)たるものゝ如く更に語を続(つぎ)て。
私が乗りましたのは。後から二番目の三|等客車(とうかくしや)でしたが。気絶(きぜつ)
をしてから漸(やつ)と気が付いて見ると何だか一向分らない。窓から
首を出してるのです。そこで只|何(なん)の考(かんが)へも無く。一生懸命に頭
を持ち上げて這(は)い出(だ)して見ると。大変な風で耐らない。其処等
を眺(なが)めて見ると大きな石があつた。この時は水が余程殖(よほどふ)えて来
て丁度水責(ちやうどみづぜめ)に遭(あ)ふ様な塩梅ですから。兎に角其の石の処まで行
つて見やうと思つて。夢中(むちう)で這ひ出して。石に抱き付いて居り
ますと。向ふの鉄橋の上に三四人の人が居たので能くは覚えま
せんが。私が助けて呉れツとか何とか言つたものと見えまし
て。向ふから長い綱を投げて呉れましたので。それに縋つて漸
と鉄橋の上まであがりました。鉄橋の上から綱を投げて呉れた
のは。近傍(きんばう)の百姓が村の風水害を見巡りに来たものと見えまし
て。総(す)べて四人|居(を)りましたが。私が鉄橋の上(うへ)にあがると。大変
【左ページ下段】
な怪我(けが)だ〳〵と口々に言(い)ふので。私も始めて気が付いて顔を撫(な)
でゝ見ると。血汐(ちしほ)で手が真赤(まつか)になる。これはと思ふと同時に非常
な痛みを感じたので取敢へず。半巾(はんけち)で左の頬の傷を押へたが。
百姓等は親切(しんせつ)に慰めて呉れて。一先つ私の家へ来て傷の療治を
するが良(い)いと言(い)ふので。夫れから一人の百姓に負はれて。矢板
から七八町離れた百性家へ連れて行つて貰つて。蒲団の上に寝
かされました。
それで漸く人心知(ひとごゝち)が付いて能く〳〵身体を改めて見ると。傷は
頭に三ケ所と目の下から右の頬へかけ長さ二寸程の切り傷があ
つて多分窓硝子(たぶんまどがらす)が壊れて切つたものらしい。それからまた右の
手首にも傷があるし脊膸(せきずゐ)を強(つよ)く打つたものと見えて背中が痛い
ツたら…………………暫(しばら)くしてから。この百姓家に頼(たの)んで。矢板か
ら此家 (麹町一の瀬方なり)へ電報(でんぽう)を打つて貰(もら)つて汽車の墜(おつ)こち
た時のことを考へて見ると。実に怖ろしい。能くは覚えません
が。私の乗つてた後(うしろ)から二番目の客車(かくしや)は。矢板の方へ寄つた方
の川の淵(ふち)になつた処へ墜ちたので橋から七八間も向ふへ飛んだ
様に思ひます。
私の乗て居た客車の中には。宇都宮近傍の豪家の嫁らしい婦人
が子守女に嬰児を負して乗つて居ましたが。嫁は可哀想に片手
をもぎ折られて。私が助けて遣らうとする一刹那に見えなくな
つた様に………………後(あと)から考(かんが)へて見ると思ひ出しますが。子守女
も多分死んだでせう。併し其中に医者らしい人が居て。少し怪
我をしたが。命には別条(べつでう)が無かつたさうで。あの嬰児(あかんぼう)だけは無
事に助つた様に後で聞きました。
私が百姓家から打つた電報に驚(おどろ)いて此家 (麹町の一の瀬方)から
一ノ瀬多喜治が来(き)て呉(く)れましたが。一の瀬は八日の払暁に。宇都
宮で矢板から送つて来た廿名程の怪我人に出遇(であ)つて。氏家辺(うじいへへん)で