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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - ページ 26

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【左ページ上段】 たる所なりとて去月十日其の紙上(しじやう)に記載(きさい)せしを挙むに 氏遭難当時の模様を語(かた)つて曰く。御承知(ごしようち)の通りあの汽車は。七 日の午前十一時に上野を出ましたので。私は縞(しま)の綾羅紗の背広 に黒の袴(づぼん)を穿きまして。格別手荷物(かくべつてにもつ)も無く極身軽(ごくみがる)でした。汽車 の中では新聞を読んだり煙草(たばこ)を吹つたり。菓子を喰つたりして 居(ゐ)ましたが。三時頃宇都宮へ着(つ)きまして。それから四時頃。矢 板へ着いたのです全体ならば三時半に着くんだそうですが。四 十分|程遅(ほどおく)れまして。矢板を出たのは四時十分頃でも御座いまし たらうか。この時は随分(ずいぶん)風も吹いてる様に思(おも)ひましたが。あん な大風だらうとは知りませんで。間もなくあの橋の上に掛かり ますと。俄(にはか)に汽車の腰掛(こしかけ)が持ち上がる様な心持(こゝろもち)がしまして。ス ツと吹(ふ)き上(あ)げられる様になつて。それから身体(からだ)が逆まになつた と思つたぎり後(あと)は何も覚(おぼえ)ませぬ。 氏は斯く語りて覚へず悚然(しようぜん)たるものゝ如く更に語を続(つぎ)て。 私が乗りましたのは。後から二番目の三|等客車(とうかくしや)でしたが。気絶(きぜつ) をしてから漸(やつ)と気が付いて見ると何だか一向分らない。窓から 首を出してるのです。そこで只|何(なん)の考(かんが)へも無く。一生懸命に頭 を持ち上げて這(は)い出(だ)して見ると。大変な風で耐らない。其処等 を眺(なが)めて見ると大きな石があつた。この時は水が余程殖(よほどふ)えて来 て丁度水責(ちやうどみづぜめ)に遭(あ)ふ様な塩梅ですから。兎に角其の石の処まで行 つて見やうと思つて。夢中(むちう)で這ひ出して。石に抱き付いて居り ますと。向ふの鉄橋の上に三四人の人が居たので能くは覚えま せんが。私が助けて呉れツとか何とか言つたものと見えまし て。向ふから長い綱を投げて呉れましたので。それに縋つて漸 と鉄橋の上まであがりました。鉄橋の上から綱を投げて呉れた のは。近傍(きんばう)の百姓が村の風水害を見巡りに来たものと見えまし て。総(す)べて四人|居(を)りましたが。私が鉄橋の上(うへ)にあがると。大変 【左ページ下段】 な怪我(けが)だ〳〵と口々に言(い)ふので。私も始めて気が付いて顔を撫(な) でゝ見ると。血汐(ちしほ)で手が真赤(まつか)になる。これはと思ふと同時に非常 な痛みを感じたので取敢へず。半巾(はんけち)で左の頬の傷を押へたが。 百姓等は親切(しんせつ)に慰めて呉れて。一先つ私の家へ来て傷の療治を するが良(い)いと言(い)ふので。夫れから一人の百姓に負はれて。矢板 から七八町離れた百性家へ連れて行つて貰つて。蒲団の上に寝 かされました。 それで漸く人心知(ひとごゝち)が付いて能く〳〵身体を改めて見ると。傷は 頭に三ケ所と目の下から右の頬へかけ長さ二寸程の切り傷があ つて多分窓硝子(たぶんまどがらす)が壊れて切つたものらしい。それからまた右の 手首にも傷があるし脊膸(せきずゐ)を強(つよ)く打つたものと見えて背中が痛い ツたら…………………暫(しばら)くしてから。この百姓家に頼(たの)んで。矢板か ら此家 (麹町一の瀬方なり)へ電報(でんぽう)を打つて貰(もら)つて汽車の墜(おつ)こち た時のことを考へて見ると。実に怖ろしい。能くは覚えません が。私の乗つてた後(うしろ)から二番目の客車(かくしや)は。矢板の方へ寄つた方 の川の淵(ふち)になつた処へ墜ちたので橋から七八間も向ふへ飛んだ 様に思ひます。 私の乗て居た客車の中には。宇都宮近傍の豪家の嫁らしい婦人 が子守女に嬰児を負して乗つて居ましたが。嫁は可哀想に片手 をもぎ折られて。私が助けて遣らうとする一刹那に見えなくな つた様に………………後(あと)から考(かんが)へて見ると思ひ出しますが。子守女 も多分死んだでせう。併し其中に医者らしい人が居て。少し怪 我をしたが。命には別条(べつでう)が無かつたさうで。あの嬰児(あかんぼう)だけは無 事に助つた様に後で聞きました。 私が百姓家から打つた電報に驚(おどろ)いて此家 (麹町の一の瀬方)から 一ノ瀬多喜治が来(き)て呉(く)れましたが。一の瀬は八日の払暁に。宇都 宮で矢板から送つて来た廿名程の怪我人に出遇(であ)つて。氏家辺(うじいへへん)で