翻刻
【左ページ上段】
まして。彼是人数は十余人も居りました。やがて箒川へ掛ると
俄然暴風(がぜんばうふう)が遣(や)つて来たかと思ふと瞬(またゝ)く間に。真逆様に落ちまし
たから。突然鉄(いきなりてつ)の棒(ばう)に緊乎(しつか)と掴(つか)まつてゐましたが。脇腹を強く
打ちましたが。精神は大丈夫の積りで居りましたから熟視(よくみ)る
と。其時はモウ暗黒(まつくら)で能く分りませんが。下に客車が微塵に砕
けて居りまして。其辺(そのへん)で唸(うめ)き苦(くる)しむ声(こゑ)が聞えたり。援助(たすけ)を呼ぶ
声が聞えたりしますが。何しろ同車中の人を助けたいとあせつ
て居ると丁度埼玉県の巡査 (加藤政行氏別項参照)が非常に尽
力して下すつて。僕(ぼく)と島貫君と三人で。川の中の寄洲(すなち)へ一人々
々救ひ出して。大抵(たいてい)出だした積りで厶いました所が下の方で
婦人悲鳴を挙けて助けて呉れ〳〵と叫びますから。熟々見(よく〳〵み)たと
ころが屋根裏の間(あひだ)へ挿(はさま)まつて。一人の婦人(ふじん)が嬰児(こども)を抱い居つて
た。 (此婦人は那須郡太田原町若林五郎平妻おタメ (二十八)とい
ふが当歳(たうさい)の男子トクを抱(いだ)きゐたりしものなり)。別に負傷をし
た様子(やうす)もなし。嬰児(こども)も満足のやうでありましたが。後で見たと
ころが肩(かた)を撲(う)つたといふことです。三人で一|生懸命(しようけんめい)に働(はた)らいた
けれども何処からも来て助けて呉れね。前には大河を隔つてゐ
るし。且つ暴風が起て向ふも (東岸)救助すべき手段がない。
已むを得ず如何したら可いかといふて。埼玉県の巡査に相談を
すると。少(すこ)しは水練(すゐれん)の心得(こゝろえ)があるから。川中(かわなか)へ飛込むといふか
ら。僕はこの急流(きふりう)で到底向(たうていむかふ)岸へ着くことは出来ますまいと言つ
た所が。巡査は多くの被害者(ひがいしや)をみす〳〵見殺しにすることは出来
ぬと云て。飛び込や否や見る〳〵押流されて。姿も見えなくな
つて仕舞たから。無論死んで仕舞たと思つたところが。如何し
て助(たす)かつたか。此処 (神野病院(かんのびやうゐん))に入院してゐるさうです。そ
れから二人で破損列車(はそんれつしや)の窓(まど)から伝はつて。ビーヤから辛(から)ふじて
鉄橋(てつきう)に上がりましたが。暴風(ばうふう)が時々吹いて来るので。其度に鉄
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橋に匐匍(へたば)つたが。吹き落されやうとしたことは。何十回といふ
ことを知らなかつたが。漸く西岸に着いた。その当時は自分等
は死人の如くで。生た空(そら)はありませんでした。それから幸ひ人
家に附いで。怪我人(けがにん)の引揚(ひきあ)げを頼(たの)むだところが。棕梠縄を持て
来て呉れましたから。鉄橋を渡つて寄洲に居る怪我人を鉄橋へ
引揚(ひきあげ)たのであります。それは。西岸(せいがん)の人でありますが。東岸に
向つても声を限りに呼びましたけれども。向ふへは通られず。
サツパリ分(わか)りませんでしたが。多分野崎(たぶんのざき)で救援(きうゑん)したと思ます。
其時迄(そのときまで)は島貫君も気が張つて居りましたから分りませんかつた
が。アナタ傷がありますと言れて。始めて顔一杯に血がふいて
ゐるのが分つた位です。私は足部に負傷しましたが。少しも知
ませんかつた。其時は実に噺(はなし)の外(ほか)ですよ。汽車(きしや)が顛覆してから
最早一時間以上も経過(すぎ)ましたが。救護(きうご)の人が参(まい)りませず。如何
することも出来ませぬから。早く手配を付やうと思つて。僕は
人を頼(たのん)で。暗黒(あんこく)の中を漸々(やう〳〵)矢板停車場まで行きましたが。停車
場へ着くと。僕は其侭仆(そのまゝたほ)れて仕舞つて。水か嚥(の)みたくて堪らなく
なつたから。水を一杯呉と言ひましたところが。駅長が来て今
水を嚥(の)めば死んで仕舞ふから。待てと注意をして呉れました。
暫(しば)らく経(た)つて委細(ゐさい)の談(はなし)をしたところが。駅長は汽車の顛覆(てんぷく)した
ことは分かつたけれども。如何いふ風に顛覆したやら分らぬか
ら。本課(ほんくわ)へ知(し)らせることも出来ず。困(こま)つたところであつたといふ所
でありました。其時は僕は足部が痛(いた)んで。一|歩(ほ)を動(うご)かすことが
出来ず。矢板停車場へ一晩泊て。翌朝第一臨 (汽車)で此処へ
送られました。
当時乗込(たうじのりこん)で居つた車掌は。前部、中部、後部と分れてゐました
が。前部は福島の車掌下山源五郎。中部は上野の車掌黒谷亥年
作。後部は僕です。