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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - ページ 32

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【右ページ上段】 覆汽車負傷者の応急救護(おうきう〳〵ご)として出張し。宇都宮旅館白木屋支店 に宿泊中(しゆくはくちう)なりしが。八日は被害地現場を視察し。九日県立、神 野の両病院入院の負傷者を診察し午後帰京せり。 ●佐藤博士再び出張す  十日佐藤博士は再び宇都宮へ赴き 神野病院(かんのびやうゐん)に就(つい)て患者(くわんじや)を診察(しんさつ)せしが。患者の大方は。前日も同博 士の診察(しんさつ)せしことを覚えず。今更同博士の診察を悦(よろこ)び居たりと。 ●神野病院医員出張  神野病院医員島田富蔵氏は。九日に至 り被害地より死体発見出張を求め来りたるに依り。手当の為め 現場へ向け出張したり。 ●検事の臨検  宇都宮地方裁判所検事西内金吾氏は。九日神 野病院に収容(しうよう)せし負傷者(ふしやうしや)を詳細に臨検(りんけん)し。夫れより絹川医院長 を其の宅に訪ふて。遭難当時に於ける現況を尋ぬる処ありしが。 同衙検事田島浅次郎氏も天谷|書記(しよき)と共に。十日午前神野病院に 収容(しうよう)治療中なる遭難負傷者(さうなんふしやうしや)を。詳細に臨検する処ありたり。 ●会社の吊慰と手当  日本鉄道会社にては十月十六日重役会 議を開き左の二項を決議したりと。 一死亡者の遺族へは金五百円を贈与する事 一負傷者は軽重により一人に付金三百円以下を贈与する事 ●有志者の慰問と義捐  本多河内郡長及牧野青山水野同郡書 記は。九日、那須郡役所員代理郡書記山崎章氏は。十日午後神 野病院に至り。種々慰問する所ありたり。 那須郡那須野原なる雲照寺執事向後堯彰氏は。九日神野病院 に於て治療中なる負傷者(ふしようしや)を一々|慰問(ゐもん)する所ありたり。 河内郡古里村の赤十字社員一同は。同村長社員湊定次氏を首め。 高橋長庫、友田貞吉の三名を総代とし。九日県立、神野両病院 に収容せられ居る負傷者(ふしやうしや)を慰問(いもん)したるが。尚ほ当夜は遭難地の 現場に赴きて慰問したり。 【右ページ下段】 今回の事変に対し志士仁人は。其不幸を憐み金品を寄て慰藉吊 問する者多きが宇都宮下野新聞旭香社にては。遭難者の為め義 捐金を募集したり。又九日宇都宮市各宗寺院総代清巌寺住職星 野了教師は。神野病院内負傷者へ金五円|同県立病院負傷者(どうけんりつびやうゐんふしやうしや)へ金 一円を贈り。当市旧城館主人小島徳助氏は。負傷者を見舞ふて 紙一包宛を贈(おく)り。尚ほ下都賀郡稲葉村江田セイ子は。金一円を 義捐し且つ手製(しゆせい)になれる綿撒糸百三十目を神野病院(かんのびやうゐん)へ持参し。 負傷者用として寄贈したり。尚ほ溝部知事を首として。樺山書 記官。有川警部長、西村参事官、高崎視学官、尾島惣兵衛、手 塚五郎平、安生順四郎、山田武、人見三吉諸氏其他県下有力者 は、遭難者救護として義捐を差出せり神野病院より職員其他一 同より金拾余円を義捐せり。 河内郡絹島村大字下小倉当時宇都宮市杉原町居住土木請負業亀 田易平氏は。遭難者(そうなんしや)の惨状(さんじやう)を聞き。金十円を義捐せんと自ら下野 新聞社に来たりて之を托し。又神野病院入院中の負傷者に対し て別に。鶏卵(けいらん)八貫目を贈りて其不幸を慰問(ゐもん)したりといふ。又 東京新宿停車場中売共栄舎金主田中喜太郎氏は。今回(こんくわい)の遭難(そうなん)に 際し。神野病院長を始め其他の医員事務員一同|昼夜(ちうや)の治療看護 等の尽力を伝え聞き。カーゼ十反、綿撒糸八ポンドを十日午前 神野病院に寄贈し来たりたり。     ●村民の弔祭 去る十月十日。遭難地鉄橋の東畔なる河原に。角塔婆を樹て、 野辺の草花など手向(たむ)けて、僧侶読経し、其後へに近所の老媼数 十名、念佛(ねんぶつ)を唱(とな)へて。遭難者を弔慰(てうい)し居たり。斯くて河風に燭 火の消えさらむが為めに。蝙蝠傘を三張ばかり開(ひら)きて。囲(かこ)ゐを なしぬ。心ばかりの営(いとな)みながらも。殊勝(しゆしよう)のことゝいふべし。其 南方にも笹竹を以て塔婆(とうば)を廻らしたり。対岸泉村の有志者が前 【左ページ上下二枚の挿画】 【上段説明:右から左へ横書き】 箒川惨死者葬式の図 【下段説明:右から左へ横書き】 同上附近村民弔祭執行の図