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夫婦同伴なりしが。良人(おつと)の泳(およ)いで免るを見るや。己も裸体とな
りて之を追ひつゝ|免(まぬか)れんとせしも。游泳術(いうえいじゆつ)を知らざる為め。憐
れ溺死(できし)したり。幸に命助かりたる良人の如何に嘆きけん。
▲巡査老婦を介抱す 遭難巡査加藤政行は。他の負傷者(ふしやうしや)と同じ
く神野病院に収容(しうよう)せられたるが。同室にて阿部キチとて五十歳
余の遭難老婦(そうなんらうふ)あり。負傷と疲労(ひらう)とに身体衰弱して体温乏しく。
四肢甚だ冷かなり。加藤巡査其|憫状(びんじやう)を見るに忍(しの)びず。己の体温
を以て老婦を温む。
▲金円流失 遭難者平山銀太郎は。其の当時二百円の金員を
所持(しよぢ)せしが悉(こと〴〵)く之を流失したり。
▲老婆墜落の四十九日 八月下旬の事なりとか。那須野在の
一人の草鞋売婆行商の帰送(きと)。雨を衝て箒川の鉄橋を渡り橋桁を
伝うて徐行(ぢよかう)せしに。足をや踏み辷らしけん。豫て渡り練れたる
個所なるにも拘(かゝ)はらず。橋の中程より淘然(ざんぶ)と水中に陥り。其の
侭溺死を遂げたり。然るに七日の厄日は同老婆が墜落したる四
十九日に相当するを以て。現場地附近(げんじやうちふきん)の人々は。今度の汽車の
墜落(つゐらく)を以て老婆(らうば)の霊の祟りと為し。九日宇都宮なる妙正寺に於
て老婆の為めに施餓鬼(せがき)を営みたり。
▲不思議に無難なりし幸福者 遭難列車中(そうなんれつしやちう)にありし者は。凡
て重軽傷(ぢうけいしやう)を負はざる者なきに。唯一人微傷だも負はざりし幸福
者あり。実に不思議(ふしぎ)の限りともいふべし。其者は岩手県西閉伊
郡倉野町小笠原勘太郎二男小笠原嘉重といふ十七歳の少年な
り。
▲遭難列車連絡の順序 車体番号其の他を合せて記せば左の
如し。
○第一、ブレキ付亥百二十号 (緩急貨車車掌黒屋亥年作乗車)
○第二、には十八号 (ブレキ付三等客車) (車掌下田源五郎乗
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車其の他普通乗客)○第三、は百七十八号三等客車○第四、
は百七十九号三等客車○第五、い三号一等客車○第六、ろ十七
号二等客車○第七、は二百七十五号三等客車○第八、は二百〇
七号 (ブレキ付三等客車) (車掌石井常蔵乗車其他普通乗客)
▲顛落列車引揚に要せし人夫 破壊列車(はくわいれつしや)は十日夕刻までに尽
く之を引揚(ひきあ)げたるが。これに要したる人夫は。会社の保線、汽
車、運輸三課を合せて百五十名と宇都宮及其附近村落より雇入
れたるもの二百五十名。並に附近村落の消防夫(せうばうふ)を合して。六百
余名(よめい)に上(のぼ)りたり。
▲引続きて死体を捜索す 右六百余名の人夫は翌日より一層
細密に川筋の死体を捜索し五里乃至八里の下流に及びたり。
▲会社の負傷者手当 負傷者取扱に付ては。会社員増山作輔
氏主任となり。最も丁寧なる取扱を為し。日々患者見舞として。
鶏卵、煙草、茶菓等を進め。また其の退院帰国する者には。衣服
等を給し。手当として十円宛の金円を贈り。且つ宇都宮駅に召
集せる各駅長(かくえきちやう)を之に附添はし其の自宅まて送らめしといふ。
▲死を賭せる救助者 客車|顛覆(てんぷく)の当時。水中に入り幾多の負
傷生存者を救助(きうじよ)せる義侠(ぎきやう)なる人々は。野崎村大久保千代吉、埼
玉県巡査加藤政行、太田原警察署巡査細尾東策、那須郡大内村
大字谷川黒坂金作、石井車掌の人々にて孰れも死を賭して救助
に尽力(じんりよく)せり。
▲遺留品の発見 顛落客車を破壊(はくわい)せし内より発見(はつけん)せし乗客の
遺留品には。男女の衣類の片袖、羽織、帯、下駄、傘、帽子、カバン
其他(そのた)多数の品物(しなもの)あり。今は果敢(はか)なき人の遺物となりしも憐れ
なり。
▲宛然戦地の感あり 一条の鉄橋蜿々として延び。濁流滔々
石を転し岸を噛(か)みて吼ゆ。人は灯に。テランプに。暗夜(あんや)を照し
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て橋を往来(わうらい)し。両岸各所には盛に火を燃やして。火焔所々に起
ち囂々として。衆人の馳せ違ふ当夜は。戦地(せんち)の感あり。特に熱心
なる医師(いし)諸氏の看護婦(かんごふ)を指揮(しき)し。担架に若くは戸板にて負傷者
を運搬せる如きは。一見|凄絶(せいぜつ)たる戦争に髣髴たりき。
▲気丈なる遭難婦人 那須郡湯本の旅舎松川屋諸井ハツは。
東京よりの帰途顛落列車(きとてんらくれつしや)に在り。重傷を負ひ目下県立宇都宮病
院に治療中なるか。同女か遭難当時(そうなんたうじ)に於ける模様を聞くに。列車
の墜落(つゐらく)すると同時に車中より水中に陥り。泳(およ)かむとするも身に
衣類を纏(まと)ひ居る事とて自由ならず。止むを得ず流(ながれ)に押流(おしなが)されつ
ゝ衣類を脱(ぬ)き去り。其際金三百円余の所持金(しよちきん)ありしを紛失(ふんしつ)さし
てはならじと風呂敷に包(つゝ)みて己(おの)れの胴に結(むす)び付け。漸々下流に
流され行きたるとき幸に一の寄洲(よせす)ありたるに游(およ)き上り。立たむ
とすれば。這(こ)は如何(いか)に今迄|少(すこ)しも気附かざりしが。右足|挫折(ざせつ)して
到底立つべくもあらず。危急の際とて手当(てあて)をする暇(いとま)もなく。己
れの腰巻(こしまき)を引裂きて繃帯となし纔(わづ)かに救援者の為めに助けられ
て向岸に達することを得(え)たるなりと。中々男も及ばぬ気丈の女
なりと語る者あり。
▲全快後無惨の最期 栃木県那須郡野崎村大字上石上永島
儀八 (四十四)は。長女お辰 (二十)が長病(ちやうびやう)にて宇都宮の病院に
入院しありたるが。全快退院(ぜんくわいたいゐん)しけるを連れ帰らんと同市に来り
お辰を連(つ)れて神(かみ)ならぬ身の遭難列車(そうなんれつしや)に乗込(のりこ)み。寸時も早く家に
帰へり。一家の喜(よろこ)びを見むとて。列車(れつしや)の疾走(しつさう)も尚遅しとせし
に。無惨にも箒川一|陣(ぢん)の狂風(きやうふう)に。唯だ今迄の喜びを奪ひ去られ
て。水中に葬むられたり。
▲線路の復旧 顛落を免れたる機関車(きくわんしや)並に貨車(くわしや)は。其侭運転
に差支(さしつか)へなかりしも。逓信省監査官の検証(けんしやう)を受くるにあらざれ
ば。発車(はつしや)するを得ざるを以て同所(どうしよ)に止まり臨検(りんけん)を仰ぐことゝな
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せしに。八日逓信省よりは。技師西大助氏出張し。検証を経て
機関車等(きくわんしやとう)は午前九時目的地の福島に向て出発(しゆつぱつ)したり。又破壊さ
れたる線路は。直(たゞち)に修繕(しうぜん)を加へ同日午前九時西監査官立会の
上。試運転(しうんてん)を行ひ故障なく開通したり。
【区分線】
◎神奈川県下暴風雨の被害
神奈川県も。同日午後二時頃より暴風雨となり。四時頃に至り
て歇(や)みたるが。其|被害(ひがい)は格別(かくべつ)のこともなかりしが。大磯、小田
原、三浦三崎|沿海(えんかい)の地(ち)は。海面激浪昂騰し。漁舟を覆没(ふくぼつ)し。人
家(か)を浸(ひた)し。強風樹木を裂(さ)き。暴雨(ばうう)山崕を崩壊(はうくわい)するなど。多少の
被害を免かれざりし。いま其模様を記さむに。
▲横浜市 被害は割合に少なき方にて海岸通五丁目二十番地
海岸(かいがん)に面(めん)したる地所長さ六間余|崩壊(はうくわい)し。桜木町一丁目大江橋際
なる共同便所は。午后三時半ごろ海中(かいちう)へ吹飛(ふきとば)され。船渠会社の
竹矢来(たけやらい)八|間余(けんよ)も同時に吹倒(ふきたふ)されたり。船舶は何れも多少の損傷
を受けしならんとの事なるも。独逸汽船(どいつきせん)セルビー号が外部に損
所を生(しやう)じたると。艀般(はしけ)六|艘(さう)と遊船四艘が沈没(ちんぼつ)したるの外(ほか)には。
別に聞く所なく。随つて死傷者は一人も無かりしとぞ。但し右
の風雨(ふうゝ)の為(た)め同市の水道鉄管(すゐだうてつくわん)は神奈川県津久井郡三ケ木村に於
て切断(せつだん)され。同事務所にては工夫技師を派遣して修繕に着手せ
し処。又もや同郡三沢村字中沢に於て畑地崩壊(はたちはうくわい)し。為めに第四
十五号橋崩れ落ち。鉄管を切断したれは。同事務所にては。此
処へも技師工夫数名(ぎしこうふすうめい)を派遣(はけん)し。応急工事に着手せしが。右に付
き野毛山貯水所の減水を来したれは。八日より十二日まで四|日(か)
間(かん)は午前六時より八時まで二時間、午後四時より六時まで二時
間|給水(きうすゐ)し。他は臨時断水(りんじだんすゐ)したりと。
▲中郡大磯町 相州大磯町に於ては七日午後四時半頃に至