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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - ページ 34

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【右ページ上段】 夫婦同伴なりしが。良人(おつと)の泳(およ)いで免るを見るや。己も裸体とな りて之を追ひつゝ|免(まぬか)れんとせしも。游泳術(いうえいじゆつ)を知らざる為め。憐 れ溺死(できし)したり。幸に命助かりたる良人の如何に嘆きけん。 ▲巡査老婦を介抱す  遭難巡査加藤政行は。他の負傷者(ふしやうしや)と同じ く神野病院に収容(しうよう)せられたるが。同室にて阿部キチとて五十歳 余の遭難老婦(そうなんらうふ)あり。負傷と疲労(ひらう)とに身体衰弱して体温乏しく。 四肢甚だ冷かなり。加藤巡査其|憫状(びんじやう)を見るに忍(しの)びず。己の体温 を以て老婦を温む。 ▲金円流失  遭難者平山銀太郎は。其の当時二百円の金員を 所持(しよぢ)せしが悉(こと〴〵)く之を流失したり。 ▲老婆墜落の四十九日  八月下旬の事なりとか。那須野在の 一人の草鞋売婆行商の帰送(きと)。雨を衝て箒川の鉄橋を渡り橋桁を 伝うて徐行(ぢよかう)せしに。足をや踏み辷らしけん。豫て渡り練れたる 個所なるにも拘(かゝ)はらず。橋の中程より淘然(ざんぶ)と水中に陥り。其の 侭溺死を遂げたり。然るに七日の厄日は同老婆が墜落したる四 十九日に相当するを以て。現場地附近(げんじやうちふきん)の人々は。今度の汽車の 墜落(つゐらく)を以て老婆(らうば)の霊の祟りと為し。九日宇都宮なる妙正寺に於 て老婆の為めに施餓鬼(せがき)を営みたり。 ▲不思議に無難なりし幸福者  遭難列車中(そうなんれつしやちう)にありし者は。凡 て重軽傷(ぢうけいしやう)を負はざる者なきに。唯一人微傷だも負はざりし幸福 者あり。実に不思議(ふしぎ)の限りともいふべし。其者は岩手県西閉伊 郡倉野町小笠原勘太郎二男小笠原嘉重といふ十七歳の少年な り。 ▲遭難列車連絡の順序  車体番号其の他を合せて記せば左の 如し。  ○第一、ブレキ付亥百二十号 (緩急貨車車掌黒屋亥年作乗車)  ○第二、には十八号 (ブレキ付三等客車) (車掌下田源五郎乗 【右ページ下段】  車其の他普通乗客)○第三、は百七十八号三等客車○第四、  は百七十九号三等客車○第五、い三号一等客車○第六、ろ十七  号二等客車○第七、は二百七十五号三等客車○第八、は二百〇  七号 (ブレキ付三等客車) (車掌石井常蔵乗車其他普通乗客) ▲顛落列車引揚に要せし人夫  破壊列車(はくわいれつしや)は十日夕刻までに尽 く之を引揚(ひきあ)げたるが。これに要したる人夫は。会社の保線、汽 車、運輸三課を合せて百五十名と宇都宮及其附近村落より雇入 れたるもの二百五十名。並に附近村落の消防夫(せうばうふ)を合して。六百 余名(よめい)に上(のぼ)りたり。 ▲引続きて死体を捜索す  右六百余名の人夫は翌日より一層 細密に川筋の死体を捜索し五里乃至八里の下流に及びたり。 ▲会社の負傷者手当  負傷者取扱に付ては。会社員増山作輔 氏主任となり。最も丁寧なる取扱を為し。日々患者見舞として。 鶏卵、煙草、茶菓等を進め。また其の退院帰国する者には。衣服 等を給し。手当として十円宛の金円を贈り。且つ宇都宮駅に召 集せる各駅長(かくえきちやう)を之に附添はし其の自宅まて送らめしといふ。 ▲死を賭せる救助者  客車|顛覆(てんぷく)の当時。水中に入り幾多の負 傷生存者を救助(きうじよ)せる義侠(ぎきやう)なる人々は。野崎村大久保千代吉、埼 玉県巡査加藤政行、太田原警察署巡査細尾東策、那須郡大内村 大字谷川黒坂金作、石井車掌の人々にて孰れも死を賭して救助 に尽力(じんりよく)せり。 ▲遺留品の発見  顛落客車を破壊(はくわい)せし内より発見(はつけん)せし乗客の 遺留品には。男女の衣類の片袖、羽織、帯、下駄、傘、帽子、カバン 其他(そのた)多数の品物(しなもの)あり。今は果敢(はか)なき人の遺物となりしも憐れ なり。 ▲宛然戦地の感あり  一条の鉄橋蜿々として延び。濁流滔々 石を転し岸を噛(か)みて吼ゆ。人は灯に。テランプに。暗夜(あんや)を照し 【左ページ上段】 て橋を往来(わうらい)し。両岸各所には盛に火を燃やして。火焔所々に起 ち囂々として。衆人の馳せ違ふ当夜は。戦地(せんち)の感あり。特に熱心 なる医師(いし)諸氏の看護婦(かんごふ)を指揮(しき)し。担架に若くは戸板にて負傷者 を運搬せる如きは。一見|凄絶(せいぜつ)たる戦争に髣髴たりき。 ▲気丈なる遭難婦人  那須郡湯本の旅舎松川屋諸井ハツは。 東京よりの帰途顛落列車(きとてんらくれつしや)に在り。重傷を負ひ目下県立宇都宮病 院に治療中なるか。同女か遭難当時(そうなんたうじ)に於ける模様を聞くに。列車 の墜落(つゐらく)すると同時に車中より水中に陥り。泳(およ)かむとするも身に 衣類を纏(まと)ひ居る事とて自由ならず。止むを得ず流(ながれ)に押流(おしなが)されつ ゝ衣類を脱(ぬ)き去り。其際金三百円余の所持金(しよちきん)ありしを紛失(ふんしつ)さし てはならじと風呂敷に包(つゝ)みて己(おの)れの胴に結(むす)び付け。漸々下流に 流され行きたるとき幸に一の寄洲(よせす)ありたるに游(およ)き上り。立たむ とすれば。這(こ)は如何(いか)に今迄|少(すこ)しも気附かざりしが。右足|挫折(ざせつ)して 到底立つべくもあらず。危急の際とて手当(てあて)をする暇(いとま)もなく。己 れの腰巻(こしまき)を引裂きて繃帯となし纔(わづ)かに救援者の為めに助けられ て向岸に達することを得(え)たるなりと。中々男も及ばぬ気丈の女 なりと語る者あり。 ▲全快後無惨の最期  栃木県那須郡野崎村大字上石上永島 儀八 (四十四)は。長女お辰 (二十)が長病(ちやうびやう)にて宇都宮の病院に 入院しありたるが。全快退院(ぜんくわいたいゐん)しけるを連れ帰らんと同市に来り お辰を連(つ)れて神(かみ)ならぬ身の遭難列車(そうなんれつしや)に乗込(のりこ)み。寸時も早く家に 帰へり。一家の喜(よろこ)びを見むとて。列車(れつしや)の疾走(しつさう)も尚遅しとせし に。無惨にも箒川一|陣(ぢん)の狂風(きやうふう)に。唯だ今迄の喜びを奪ひ去られ て。水中に葬むられたり。 ▲線路の復旧  顛落を免れたる機関車(きくわんしや)並に貨車(くわしや)は。其侭運転 に差支(さしつか)へなかりしも。逓信省監査官の検証(けんしやう)を受くるにあらざれ ば。発車(はつしや)するを得ざるを以て同所(どうしよ)に止まり臨検(りんけん)を仰ぐことゝな 【左ページ下段】 せしに。八日逓信省よりは。技師西大助氏出張し。検証を経て 機関車等(きくわんしやとう)は午前九時目的地の福島に向て出発(しゆつぱつ)したり。又破壊さ れたる線路は。直(たゞち)に修繕(しうぜん)を加へ同日午前九時西監査官立会の 上。試運転(しうんてん)を行ひ故障なく開通したり。 【区分線】    ◎神奈川県下暴風雨の被害 神奈川県も。同日午後二時頃より暴風雨となり。四時頃に至り て歇(や)みたるが。其|被害(ひがい)は格別(かくべつ)のこともなかりしが。大磯、小田 原、三浦三崎|沿海(えんかい)の地(ち)は。海面激浪昂騰し。漁舟を覆没(ふくぼつ)し。人 家(か)を浸(ひた)し。強風樹木を裂(さ)き。暴雨(ばうう)山崕を崩壊(はうくわい)するなど。多少の 被害を免かれざりし。いま其模様を記さむに。 ▲横浜市  被害は割合に少なき方にて海岸通五丁目二十番地 海岸(かいがん)に面(めん)したる地所長さ六間余|崩壊(はうくわい)し。桜木町一丁目大江橋際 なる共同便所は。午后三時半ごろ海中(かいちう)へ吹飛(ふきとば)され。船渠会社の 竹矢来(たけやらい)八|間余(けんよ)も同時に吹倒(ふきたふ)されたり。船舶は何れも多少の損傷 を受けしならんとの事なるも。独逸汽船(どいつきせん)セルビー号が外部に損 所を生(しやう)じたると。艀般(はしけ)六|艘(さう)と遊船四艘が沈没(ちんぼつ)したるの外(ほか)には。 別に聞く所なく。随つて死傷者は一人も無かりしとぞ。但し右 の風雨(ふうゝ)の為(た)め同市の水道鉄管(すゐだうてつくわん)は神奈川県津久井郡三ケ木村に於 て切断(せつだん)され。同事務所にては工夫技師を派遣して修繕に着手せ し処。又もや同郡三沢村字中沢に於て畑地崩壊(はたちはうくわい)し。為めに第四 十五号橋崩れ落ち。鉄管を切断したれは。同事務所にては。此 処へも技師工夫数名(ぎしこうふすうめい)を派遣(はけん)し。応急工事に着手せしが。右に付 き野毛山貯水所の減水を来したれは。八日より十二日まで四|日(か) 間(かん)は午前六時より八時まで二時間、午後四時より六時まで二時 間|給水(きうすゐ)し。他は臨時断水(りんじだんすゐ)したりと。 ▲中郡大磯町  相州大磯町に於ては七日午後四時半頃に至