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り。激浪怒涛(げきらうどゝう)凄まじく。鴫立庵南隣なる今村清之助氏|所有(しよゆう)の別(べつ)
荘(さう)一棟及び飲食店一棟は浪に攫はれて流失し。又た禕龍館前の
石垣|全部(ぜんぶ)と其両端の離座敷二|棟(むね)を破壊(はくわい)し。殊(こと)に同館左側の離座
敷も。激浪の為め顛覆せしかば。其の近傍にて海面を眺め居り
たる数名(すめい)の者(もの)は。逸早く逃去(にげさ)りたれど。内六名は狼狽の余り逃
場を失(うしな)ひ。終に残(のこ)らず建家(たてや)に押潰(おしつぶ)されたれば。大磯警察署にて
は。直に水防夫を派出して。救助せしめたるが。幸ひ四名は腰
部及び脚部(きやくぶ)に擦過傷を負(お)ひし位(くらゐ)にて。生命に別条なかりしも。
平塚町西仲町今井八百吉次男大磯山本楼雇人十七 (三十九)並に
大磯町二宮善吉四男兼吉 (十一)の両人は。無惨にも即死を遂げ。
惨状目(さんぜうめ)も当(あ)てられず。其他にも被害(ひがい)の場所(ばしよ)難破船等ありたれ
ど。死傷(しせう)等はなかりし模様なり。
▲足柄下郡小田原町 七日正午より東南の風強く。午後三時
頃より西風(せいふう)に変(へん)じて益々吹荒(ます〳〵ふきすさ)び。激浪土手を超えて海岸の人家
を浸(ひた)し。中(なか)にも万年町三丁目の海浜なる旅人宿兼料理店片野屋
事大南源太郎方は。幾度(いくたび)か怒涛(どたう)に撃(うた)れて二階より潰れ。居合た
る同町貸座敷業高橋久五郎 (四十三)は負傷し。同家の金三百円
は風呂敷包(ふろしきつゝみ)の侭海水(まゝかいすゐ)に奪(うば)はれたりと。同家附近の人家納屋等十
数戸破壊し。警官、消防夫総出となりて。同町より漁師町方面
の警戒に力めたり。万年町三丁目寄留横浜石川仲町三丁目豆売
根塚金次 (四十七)同町菓子商土田桑之助 (五十五)の両人。激浪(げきらう)
の為(た)め打寄(うちよ)せし漁船の下に圧せられ。即死を遂げたるは無惨。又
酒匂川|増水(ぞうすい)して。其勢に十文字橋を十|余間押流(よけんおしな)がし。為めに通
行止となり。同川尻の堤防三十間切れ込み。田畑八反歩流失し
たり。負傷者(ふしやうしや)は万年町にて石川友次郎、山田市蔵、川崎福次郎
高橋久五郎 (以上重傷)の外|軽傷(けいしやう)十数名あり遭難者(さうなんしや)は。幸町一丁
目の劇場富貴座に送り込み。同所に六十二名を収容し手当を加
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へたり。是等(これら)は概ね漁業者其他の貧困者(ひんこんしや)なりと。小田原(をだはら)に於け
る建物被害(たてものひがい)の概計(がいけい)は左の如し。
人家流失二、全潰七、半潰一四、浸水床上二〇、同床下一七
七、納屋全潰七、半潰六、大破三、小破六、外に水車小屋の
半潰一
同郡府川村海面にて漁舟転覆し。また湯本村須雲川山林の崖崩
れ。炭焼小屋(すみやきこや)に居(ゐ)たる。老母|圧死(あつし)す。国府津にては人家半潰一、
土蔵同一、物置全潰一、同半潰一、前羽村にて人家半潰三、物
置全潰二、同半潰二、ありたり。又同村沖合にて、十人許り乗
組み居(ゐ)たる鰹魚船難破(かつをぶねなんぱ)したる由。吉浜村辺も余程の被害ありし
ならん。
▲鎌倉郡 山崖の崩壊。樹木の折倒など数多く。怒涛の高さ
三四|丈(ぢやう)に達(たつ)し。宛然海嘯(さながらかいしよう)の如く。字材木座飯島辺は。海中に突(とつ)
出(しゆつ)し居(ゐ)る事とて。特に被害多(ひがいおほ)く数回の波涛(はたう)に漁家の流失(りうしつ)せしも
の一、半潰十一戸に及び、男女の負傷者五名あり。浸水家屋ま
た二十余戸。家具を流失せしもの多し。
▲高座郡 相模川の増水一丈二尺を超え。寒川村一ノ宮の堤防
五十|間許(けんばか)り破壊(はくわい)し。人家、田畑(たはた)に甚しく浸水(しんすゐ)したる処あり。又
有馬村避病舎 (間口九間、奥行二間、草葺平一家)棟倒る。七
日夜十二|時頃(じごろ)に及びて明治村稲荷の引地脇開墾地(ひきちわきかいこんち)に建設しある
端山鶴吉の居宅一棟 (間口六間、奥行二間半草葺平屋)崖土崩壊
の為めた全潰したるも。幸ひに死傷なかりし。
●三浦半島 三|崎港(さきかう)にては。七日朝来海波高く。午後一時よ
り五|時迄(じまで)の間は。殊(こと)に劇(はげ)しく。流失家屋(りうしつかおく)六、半潰十二三戸に達
し。附属建物(ふぞくたてもの)の破壊また約四五十棟に及び。警察分署もまた屋
根石垣に破損(はそん)を受(う)け。流失(りうしつ)の虞(おそ)れありし為め。書類を役場員井
上国太郎方に運(はこ)びたる程(ほど)なりし。概(がい)して全町の大半は幾んど損
【左ページ:挿画(横向き)】
【説明:右から左へ横書き】
田子の浦激浪襲来の図