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【右ページ上段】
へ居(え)たるに。午後一時半頃愈々海嘯と変じ。二時頃に及びて。
更(さら)に一大海嘯の襲ひ来りぬ。折柄(おりから)俗(ぞく)に此辺(このへん)にて。ダシと称ふる
東北の暴風。此の激浪に吹き当てゝ。汐煙の立つかと見れば。
家(いへ)ともいはず人(ひと)ともいはず。舟も漁具も田畑作物をも。一攫ひ
に流亡したりしとかや。
●海嘯襲来の模様
海岸の漁民等は。海嘯の逆捲き来ると思ふや。倉皇避難の用意
を為し。先つ婦女老幼を漁船に移し。之を老松に繋ぎ。壮者は
其の絶頂に挙りて。遠(とほ)く海上(かいじよう)を望(のぞ)み。高浪の来る毎に。声を放
ちて警戒し居たるが。最後に襲ひ来りし一大海嘯には。何れも
波中に捲(ま)き込(こ)まれて。舟は危く覆没し。樹上にあるも秋の木
葉を揺り落され。其所にも此所にも救助を呼(よ)ぶ声(こえ)もの凄さまじ
く。樹木と共に流亡(なが)さるゝあり。手を放ちて影を汐烟の裡に
失ふものあり。惨状いまは見るに忍びず。覚えず臍を寒からしめ
き。遭難者の話に。海嘯の激しく至りしは。前後二回にして。
波(なみ)の高(たか)さは。四 丈余(じようよ)に達せりと。海の幸ち多く。近年絶えて海
嘯の被害(ひがい)なかりし田子(たご)の浦(うら)辺にては。今回の惨事を。三百六十
年目の変災なりといへり。 (挿画参看)
●各地より見たる実況
海嘯の襲ひ来りし八日午後二時半頃富士郡吉原駅にては。田子
の浦が大火だ。と叫(さけ)びし者ありしに皆々戸外へ立ち出でゝ見し
に。如何(いか)にも伊豆の諸山(しよさん)よりも高く天を衝いて。一堆の黒煙濛々(こくえんもう〳〵)
と田子の浦の松並木を。三四間の下に圧して立ち昇(のぼ)れる有様(ありさま)に。
何れも胆(きも)を冷しけるが。是れ海嘯が海底(かいてい)の黒砂(こくしや)を含んで松並木
を打ち越え。鈴川の平野(へいや)へ突入(とつにふ)するを見けるなり。
海嘯(かいたう)が平穏(へいおん)なる海面を圧して。陸地に襲来(しうらい)しける時。其の目標
は西の方清水港にあるが如く見えければ。同港の人々は。スワ
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コソ海嘯が我が町へ襲ひ来れるぞと。上を下へと逃げ仕度に狂
奔せる内。忽然(こつぜん)方向転(はうかふてん)じて田子の浦にと向ひ。同村字新濃を中
心として。襲(おそ)ひかゝりし為め。清水港(しみづみなと)の者はホツと安堵(あんど)の思を
為せりと。
江尻地方(えじりちはう)の人のいふ所によれば。七日の一時頃三保松原より高
きこと一間ばかりの大浪沖(おほなみおき)に見えたるより。スワ一大事過る安
政年間の駿豆海嘯(すんづかいしやう)の二の舞(まひ)もやと。一同遁仕度を為したるに。
四時頃に至り。果して大激浪襲(だいげきらうおそ)ひ来(きた)り。海岸(かいがん)の家屋は勿論石垣
をも打崩したりとぞ。然れば三時間前に已に其の現象ありしと
見ゆ。
●渺茫たる湖水と変す
山なす怒濤は。沿岸の砂山又は堤防を襲ふと同時に。連日の降
雨に漲れる。潤井川、沼川、江川より注ぎ来れる洪水と衝突
し。激浪天を排して。怒号隆起。砕けて又結(またむす)び。茲処に海嘯(かいせう)と
洪水と相闘ふの奇観を呈せしが。見る〳〵其間に。海底の土砂
や噴きあげけむ。一大堤塘は築かれたり。されば陸地(りくち)に汎濫
する洪水は。忽ち其吐口を失ひて瀦溜し。剰さへ海波は、自
然に築(つ)かれたる堤塘の頂を打越して。一大瀑布の如く。淼々たる
海水を注入せしを以て。瞬時にして。夢(ゆめ)の如(ごと)き湖海を現出し。
西(にし)は富士川(ふじがわ)の堤防(ていばう)より東は浮島沼を併呑し。濁水滔々として富
士の根方を浸せり。其間南北凡一里東西二里余に渉る。斯くて
湖水は。益々瀦溜し。鈴川停車場(すゞかはていしやば)の如(ごと)きは。全く渺茫たる水中
に没し。近傍(きんばう)の家屋も。亦辛ふじて屋蓋を水面に露はせるのみ
なり。もと鈴川町は。北に亘れる富士の裾野の裾先きに当れる
低地にして。町の北(きた)より西(にし)に廻(まわ)りて。南の方海に注ぐ。沼川の
吐口にて。河水順流する時は。自然に外に開き。湖水逆流する
時(とき)は。内に閉ぢ得べき水門の設備あり。鈴川町を南に距ること二
【左側】
海嘯被害地村落の図 其一【ページ欄外に横書き】