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コレクション: STAGE7

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - 翻刻

風俗畫報臨時増刊第百九十九號 明治三十二年十月各地災害圖會(前編之續) - ページ 40

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【左ページ上段】 て尽力せしめたりといふ。 ▲静岡の歩兵第三十四連隊よりも。負傷者救護の為め。大堀二 等軍医。奥平一等看護長及看護手三名を。九日午前五時三十五 分。殊に惨状を極め居る。富士郡地方に派遣し。救護に従事せ しめたり。     ●被害彙聞 ▲村民の叫号汽車難を免る  海嘯の前数刻沼津発の汽車は、一 時間前前車無事通過の電報(でんぽう)を得て田子浦附近の某村なる線路に まで進みしに。其方面(そのほうめん)に当(あた)つて三名の村民遥に声を揚げて。大 手を広(ひろ)ぐるを認(みと)めたり。こゝに於(おい)て機関(きくわん)手は行路(かうろ)に異状あるを 察(さつ)し。徐行(じよかう)して之に近(ちか)づけば。線路は漸(やうや)く潮水に浸して。枕木(スツリバ) 既に水に浮き揚らんとし居るより。直に汽車を後退せしめて。 纔(わづか)に危難(きなん)を免れたり。 ●戸障子を屋根とし壁とす  避難者は何れも松の林を楯に。 戸障子を建て掛け。箪笥を並べとなして。僅かに雨露を凌ぎ。 左無きは遠き親戚に同居して。減水の日を待ちつゝありき。 ●波に呑まれて救(すく)はる  鈴川町字砂山の別荘十三戸が。悉く 波(なみ)に攫(さら)はれし時(とき)。何(いず)れも後(うし)ろの高岳(をか)へ逃上り。幸に身を全ふし て。一人(ひとり)も死者なかりしが中に。三名程逃げ後れて。アワヤと 見る間に波(なみ)に呑(の)まれて。遠(とほ)く引き行かれむとするを。早くも見 て取りたる他の人々は。透さず身を怒濤の内に投げ入れて。漸 く三名を救ひ上げたりと。 ●惨鼻に堪へず  前田新田なる質商某の新宅にては。海上(かいじやう)の 鳴動(めいどう)とゝもに。先づ小児(せうに)三人を隣村(りんそん)の某方に避難せしめ。夫婦 は大切(たいせつ)なる家什(かじう)を纒(まとめ)て逃出(とうしゆつ)せんとする際。山の如き海嘯至りて 夫(おつと)は屋内階段(おくないかいだん)の下に。婦は戸口に於て無惨(むざん)の最後(さいご)を遂げたり。 又十五六歳の少女(せうじよ)の嬰児(えいじ)を負ひたる侭(まゝ)眠(ねむ)れるが如くに死せしを 【左ページ下段】 土砂の下より堀り出せり。人夫等皆涙を掩ふ。 ▲汽車不通と第一師団兵  台湾守備兵(たいわんしゆびへい)として。東京を出発し たる。第一師団兵は。沼津(ぬまづ)に於て汽車不通の為め。下車淹留し 居(ゐ)たるが。九日午前六時頃。陸路(りくろ)鈴川迄(すゞかはまで)。其処より小舟にて。 順次出発(じゆんじしゆぱつ)したりといふ。 ▲交通困難  列車は固より運転すべからざるに。旧街道も用 を為さす。沼津駅にて汽車を下りし旅客(りよかく)が。更に腕車(わんしや)を雇(やと)ふて 湖水の東岸に出で。舟路(しうろ)吉原町に渡り。夫より陸路(りくろ)岩淵駅に至 らむとするも。舟賃(ふなちん)を貧ること夥しくして。警察の注意(ちうい)も其甲 斐なければ。交通頗る困難なりき。     ●排水工事 鈴川附近は。渺茫たる一大湖水の底に葬られぬ。当日沼川、潤 井川に氾濫(はんらん)せし河水が。海嘯(かいしやう)と河口に於て激(はげ)しく衝突(しやうとつ)せし為め 川尻は土砂堆積(どしやたいせき)して。一面に河口を塞(ふさ)ぎたれば。日を経るも海 嘯は少しも減せず。静岡県土木課長其他の吏員人夫千五百名を 使役(しえき)して。夜を徹(てつ)して。篝火(かゞりび)の光天を焦(こが)しつ。日夜砂山を切り 開き。排水(はいすゐ)の策(さく)を講(こう)じたるも。減水の模様なく。十日の午前迄 に。漸く一筋の小流を作り得たるも。排水の功なく。今は三昼 夜水に浸(ひた)りて。斯くては愈々 桑田変(さうでんへん)して碧海(へきかい)と化し。鈴川は長 へに湖中のものかと。四民安き心もなし。減水工事(げんすゐこうじ)の漸く捗取(はかど) らざるより。こゝに県庁よりは。軍隊(ぐんたい)に向て工兵の派遣(はけん)を請求(せいきう) し。工事を委ねたり。静岡県知事の請求に依り。潤井川堀割の 為め。翌十一日。第三師団より工兵一大隊 (将校十名、下士卒四 百名、馬八頭)を派遣し。同日午後三時三十分。岩淵駅に到着 して。直に現場(げんじやう)に出発し。同夜七時十分より堀割(ほりわり)の工事(かうじ)に着手 し。九時過までには。長さ七十間、深さ十一尺。浅きは一尺余 を鑿堀したるに。混濁(こんだく)せる溢水。滔々乎(とう〳〵こ)として大洋に注(そゝ)けり。