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【左ページ上段】
て尽力せしめたりといふ。
▲静岡の歩兵第三十四連隊よりも。負傷者救護の為め。大堀二
等軍医。奥平一等看護長及看護手三名を。九日午前五時三十五
分。殊に惨状を極め居る。富士郡地方に派遣し。救護に従事せ
しめたり。
●被害彙聞
▲村民の叫号汽車難を免る 海嘯の前数刻沼津発の汽車は、一
時間前前車無事通過の電報(でんぽう)を得て田子浦附近の某村なる線路に
まで進みしに。其方面(そのほうめん)に当(あた)つて三名の村民遥に声を揚げて。大
手を広(ひろ)ぐるを認(みと)めたり。こゝに於(おい)て機関(きくわん)手は行路(かうろ)に異状あるを
察(さつ)し。徐行(じよかう)して之に近(ちか)づけば。線路は漸(やうや)く潮水に浸して。枕木(スツリバ)
既に水に浮き揚らんとし居るより。直に汽車を後退せしめて。
纔(わづか)に危難(きなん)を免れたり。
●戸障子を屋根とし壁とす 避難者は何れも松の林を楯に。
戸障子を建て掛け。箪笥を並べとなして。僅かに雨露を凌ぎ。
左無きは遠き親戚に同居して。減水の日を待ちつゝありき。
●波に呑まれて救(すく)はる 鈴川町字砂山の別荘十三戸が。悉く
波(なみ)に攫(さら)はれし時(とき)。何(いず)れも後(うし)ろの高岳(をか)へ逃上り。幸に身を全ふし
て。一人(ひとり)も死者なかりしが中に。三名程逃げ後れて。アワヤと
見る間に波(なみ)に呑(の)まれて。遠(とほ)く引き行かれむとするを。早くも見
て取りたる他の人々は。透さず身を怒濤の内に投げ入れて。漸
く三名を救ひ上げたりと。
●惨鼻に堪へず 前田新田なる質商某の新宅にては。海上(かいじやう)の
鳴動(めいどう)とゝもに。先づ小児(せうに)三人を隣村(りんそん)の某方に避難せしめ。夫婦
は大切(たいせつ)なる家什(かじう)を纒(まとめ)て逃出(とうしゆつ)せんとする際。山の如き海嘯至りて
夫(おつと)は屋内階段(おくないかいだん)の下に。婦は戸口に於て無惨(むざん)の最後(さいご)を遂げたり。
又十五六歳の少女(せうじよ)の嬰児(えいじ)を負ひたる侭(まゝ)眠(ねむ)れるが如くに死せしを
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土砂の下より堀り出せり。人夫等皆涙を掩ふ。
▲汽車不通と第一師団兵 台湾守備兵(たいわんしゆびへい)として。東京を出発し
たる。第一師団兵は。沼津(ぬまづ)に於て汽車不通の為め。下車淹留し
居(ゐ)たるが。九日午前六時頃。陸路(りくろ)鈴川迄(すゞかはまで)。其処より小舟にて。
順次出発(じゆんじしゆぱつ)したりといふ。
▲交通困難 列車は固より運転すべからざるに。旧街道も用
を為さす。沼津駅にて汽車を下りし旅客(りよかく)が。更に腕車(わんしや)を雇(やと)ふて
湖水の東岸に出で。舟路(しうろ)吉原町に渡り。夫より陸路(りくろ)岩淵駅に至
らむとするも。舟賃(ふなちん)を貧ること夥しくして。警察の注意(ちうい)も其甲
斐なければ。交通頗る困難なりき。
●排水工事
鈴川附近は。渺茫たる一大湖水の底に葬られぬ。当日沼川、潤
井川に氾濫(はんらん)せし河水が。海嘯(かいしやう)と河口に於て激(はげ)しく衝突(しやうとつ)せし為め
川尻は土砂堆積(どしやたいせき)して。一面に河口を塞(ふさ)ぎたれば。日を経るも海
嘯は少しも減せず。静岡県土木課長其他の吏員人夫千五百名を
使役(しえき)して。夜を徹(てつ)して。篝火(かゞりび)の光天を焦(こが)しつ。日夜砂山を切り
開き。排水(はいすゐ)の策(さく)を講(こう)じたるも。減水の模様なく。十日の午前迄
に。漸く一筋の小流を作り得たるも。排水の功なく。今は三昼
夜水に浸(ひた)りて。斯くては愈々 桑田変(さうでんへん)して碧海(へきかい)と化し。鈴川は長
へに湖中のものかと。四民安き心もなし。減水工事(げんすゐこうじ)の漸く捗取(はかど)
らざるより。こゝに県庁よりは。軍隊(ぐんたい)に向て工兵の派遣(はけん)を請求(せいきう)
し。工事を委ねたり。静岡県知事の請求に依り。潤井川堀割の
為め。翌十一日。第三師団より工兵一大隊 (将校十名、下士卒四
百名、馬八頭)を派遣し。同日午後三時三十分。岩淵駅に到着
して。直に現場(げんじやう)に出発し。同夜七時十分より堀割(ほりわり)の工事(かうじ)に着手
し。九時過までには。長さ七十間、深さ十一尺。浅きは一尺余
を鑿堀したるに。混濁(こんだく)せる溢水。滔々乎(とう〳〵こ)として大洋に注(そゝ)けり。