翻刻
【右丁】
青渭社(あをゐのやしろ)
虎狛社(とらかしはのやしろ)
【四角囲い文字】
青渭
虎狛
【枠外】 三ノ百五十五
【左丁】
如来(によらい)の木佛(もくふつ)を安置(あんち)す《割書:作者|未詳》本堂(ほんたう)の向拝(かうはい)に掲(かく)る所(ところ)の虎柏山(こはくさん)の
三 大字(たいし)は筆者(ひつしや)をしらす
薬師堂(やくしたう) 本堂(ほんたう)の前(まへ)右(みき)の方(かた)にあり薬師佛(やくしふつ)は立像(りふさう)御 長(たけ)一尺
はかりありて行基大士(きやうきたいし)の彫造(てうさう)なりといへり《割書:佛龕(ふつかん)の内(うち)に弘法大師(こうほふたいし)の|真跡(しんせき)の般若心経(はんにやしんきやう)を収(をさ)む》
此(この)堂宇(たうう)二百 有余年(いうよねん)はかり前迠(まへまて)は此地(このち)より東南(とうなん)の方(かた)三四十
歩(ほ)を隔(へた)てゝ耕田(かうてん)の中(うち)にありしとなり《割書:今(いま)に古薬師堂(ふるやくしたう)と|いへる地(ち)是(これ)なり》其頃(そのころ)屢(しは〳〵)
賊(そく)の為(ため)に佛器(ふつき)の類(たく)ひを奪(うは)はれしかは終(つひ)に祗園寺(きおんし)の境内(けいたい)に
遷(うつ)せしとなり《割書:今(いま)薬師堂(やくしたう)より一丁 程(ほと)南(みなみ)に薬師堂面(やくしたうめん)と字(あさな)して一反(いつたん)六 畝(せ)は|かりの除地(ちよち)あり鎌倉時世(かまくらしせい)より前(まへ)に附(ふ)する所(ところ)なるよし土人(としん)》
《割書:いひ傳(つた)へたり》
狛江入道旧館地(こまえにふたうきうくわんのち) 祗園寺(きおんし)より艮(うしとら)の方(かた)六七町を隔(へた)てゝ二百 歩(ほ)あまり
の岡(をか)なり空堀(からほり)の形(かたち)なと厳然(けんせん)として残(のこ)れり此地(このち)に入道(にふたう)崇(あか)むる
所(ところ)の稲荷(いなり)の小祠(しやうし)あり土人(としん)里(さと)の稲荷(いなり)と称(しよう)す祠前(しせん)樫(かし)の老(らう)
樹(しゆ)一 株(ちゆう)六 圍(ゐ)にあまるもの存(そん)せり《割書:東鑑(あつまかゝみ)の承元(しやうけん)二年戊辰七月十五日|狛江入道増西(こまえにふたうそうさい)悪党(あくたう)五十余人を率(ひき)》
《割書:ゐて武蔵国(むさしのくに)威光寺(ゐくわうし)領内(れうない)に乱入(らんにふ)し田(た)を刈(かり)狼籍(らうしせき)に及(およ)ふ由(よし)院主(ゐんしゆ)の僧(そう)円海(ゑんかい)》