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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之9 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之9 - ページ 25

ページ: 25

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【右丁】  《割書:訴出(うつたへいつ)るといふ事を挙(あけ)たり刊本(かんほん)柏江(かしはえ)に作(つく)るは狛江を誤(あやま)りたるものならん又云|こゝに狛江 入道(にふたう)と云 傳(つた)ふるも此(この)増西(そうさい)の事(こと)をいふなるへし又 同書(とうしよ)に建久(けんきう)元年庚戌|十一月七日 二品入落供奉(にほんしゆらくくふ)の人名の内(うち)に駒江(こまえ)平四郎といふ名(な)を注(ちゆう)す》   《割書:按(あんする)に続日本後紀(そくにほんかうき)に 仁明天皇(にんみやうてんわう)の承和(しやうわ)十一年甲子五月 武蔵国(むさしのくに)多磨郡(たまこほり)狛江(このえの)|郷(かう)より節婦(せつふ)を出(いた)す事を載(のせ)られたり刊本(かんほん)猪江に作(つく)るは狛を誤(あやま)れる事 必(ひつ)|せり武蔵国風土記(むさしのくにふとき)残編(さんへん)にも多磨郡(たまこほり)の内(うち)に狛江郷(こまえのかう)といへる地名(ちめい)を出(いた)したり|和名類聚抄(わみやうるいしゆしやう)にも同(おな)し郡(こほり)の郷名(かうみやう)に狛江とありて古乃江(このえ)と訓(くん)すされと此(この)|地(ち)を今(いま)は佐須村(さすむら)と称(とな)ふしかるに多磨川(たまかは)の北(きた)宇奈根村(うなねむら)に隣(とな)りて駒井邑(こまゐむら)と|呼(よ)ふ地(ち)あり恐(おそ)らくは狛江(このえ)の郷(かう)の轉訛(あやまり)ならん北条家分限帳(ほうてうけふんけんちやう)に多波川(たはかは)の北(きた)|駒井(こまゐ)本郷(ほんかう)太田新(おほたしん)六郎 知行(ちきやう)の内(うち)にあり此所(このところ)駒井(こまゐ)の旧地(きうち)なる事しるへし》 青渭神社(あをゐのしんしや) 虎柏神社(とらかしはのしんしや)より北(きた)の方(かた)深大寺村(しんたいしむら)の中(うち)にあり土人(としん)  此地(このち)を字(あさな)して天神(てんしん)か谷戸(やと)といへり祭神(さいしん)詳(つまひらか)ならす世(よ)に  青波天神(あをはてんしん)とも称(しよう)せり相傳(あひつた)ふ古(いにしへ)は社前(しやせん)に湖水(こすゐ)ありし故(ゆゑ)  青波(あをは)の称(しよう)ありと社前(しやせん)槻(つき)の老樹(らうしゆ)あり数百余霜(すひやくよさう)を経(へ)たる  ものなり  延喜式神名帳曰  武蔵国多磨郡   青渭神社云々   《割書:按(あんする)に神名帳(しんみやう)に青渭(あおゐ)とあるを今本 阿遠伊(あをい)と訓(くん)す土人云(としんいふ)古(いにしへ)当社(たうしや)の前(まへ)は湖(こ)|水(すゐ)満(みち)たゝへたり故(ゆゑ)に青波(あをは)の称(しよう)ありといへり今(いま)青波(あをは)に作(つく)り阿遠葉(あをは)と訓(くん)するは|拠(よりところ)あるに似(に)たり猶(なほ)同巻 青沼明神(あをぬまみやうしん)の条下(てうか)と応照(てらしあはせ)てみるへし》 【枠外】 三ノ百五十六 【左丁】 狛江入道(こまえにうたうの) 旧跡(きうせき) 祇園寺(きをんし) 【四角囲い文字】 いなり ゑんま 庫裡 本堂 やくし