翻刻
雲上を薩摩に遣し種痘の法を得て帰る尚泰医
員を選ひ之に伝習せしむ六年向統績を法司と
す六月北亜米利加合衆国の水師提督たる彼理
と云もの巨艦に駕し来り互市を琉球に乞ふ初
め応せす談判数回の後遂に彼理は琉球国大臣
尚宏勲大夫馬良才との間に於て七項の条約を
結ふ時に安政元年六月十七日なり彼理那覇を
去りし時英人伯徳令か妻子四人清国人一名と
を載て還る六月英船又来り其国人冒耳敦夫妻
及其男子を留めて去る又護国寺に処く是歳十
月十五日仏国の水師提督于爾杏来り合約章程
十一款を頒つ琉官の署名するものは馬良才尚
景保翁徳裕なり二年正月仏国の船又来り教師
三名清国人一名を聖現寺に留む後仏船来り請
ふて曰屋社を久米村松尾に営し居留人を処か
んと琉球乃ち之を聴す其教師一名は乗せて去
る三年馬克承向汝礪を法司とす六年荷蘭国の
欽差全権加白良来り条約八款を定め六月七日
那覇に於て交換す是歳伊江王子朝忠《割書:尚健》を総