翻刻
し撫卹米恩賜の件藩王も亦既に扶助の施行を
了したり因て三件共辞し奉り万旧に依り閣れ
たしと演説して書面を呈せり因て又諭して曰
今や郡県の制となり全国画一の政を敷かれた
るに琉球に限り今猶藩に列せられしは畢竟特
殊の訳なり世上の沿革は機運の然らしむる所
時に応して措置を為さすんはあるへからす因
て其藩の儀も名分条理に関し差置き難き事の
み改正を行はるゝなり支営設置の事も多少の
手数に渉れとも公法上閣き難く遠大の廟議に
出て着手せらるゝ所なり蒸気船下賜の事撫卹
米恩賜の事共 朝旨を蔑如し筋なき故障申立
るは甚た不都合といふへし云々説諭あり猶十
八日二十八日五月二日同三日と反覆説諭の末
爰に二項を限り命を奉すへき旨申し出たり曰
新年紀元節 天長節等の祝賀布告通遵奉すへ
し刑律取調として担任の者両三名且学業及ひ
形勢熟知の為め少壮の者十名許人選を以て上
京せしむへしと是に於て五月七日琉球藩へ其
藩保護の為め第六軍管熊本鎮台分営被置云々