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仕候様ニ見へ申候扨寺二三ケ所見物仕候処右之奉行之船
程近く相見へ我々共江申候ハ此所へ何とて来りしや差
図之所ニ居不申候而左様ニ我儘ニ歩行候事ハ不宜と品々
帰り可申候由にて急き船に乗日和待居候右之上り候所ハ
あさま寺地之様ニ相見へ寺計多御座候百姓ら□□□家ハ
間々に御座候其人の体ハあたまハ真中に一寸四方計りの
丸さに髪を残し後江永く脇ハさつはりすり申候又
田畑も皆々牛にてすき申候日本之牛とハ大きさ二■
かけ有候ニ見へ申候百姓申候にハ昔ハ髪をも剃不申近年
は韃靼(ダツタン)と言異国ゟ帝都を責(セメ)取て今ハ皆々其国
の風に成申候扨 日和(ヒヨリ)も能成戌五月廿八日《割書:日本寛文十|庚戌年》宝登
山を出船致但《割書:宝登山江ハ着申候月日少シ違申候是ハ去年閏月御座候事|を不存暦を見る事も無く波丹ニ而一ケ月違申候月の大小ハ》
《割書:一ケ月はさみに繰り候へハ違ひ不申由南京人ニならい申候|》同六月五日に日本
之内又島と申所江着申候皆々夢幻の如くに存しばし
嬉し泪ニむせひ居申候其時太神宮の難有事申もおろ
か言葉にも不及候波丹国乗出し候節より不思義成
事計船之先に幟と浮島見へ其うつくしさ千鳥なと
空を飛申候頓而彼島を見掛ケ近付候得ハ島ハ無て夢
の覚めたる心地にて十方に呉居申事共折々の事
波丹を出シより白鷺(シラサギ)一羽先江立ふわ〳〵と飛申候