翻刻
一草木村 源兵衛 一大野村 兵蔵
一右同村 治右衛門《割書:是ハ波丹ニ而|殺され申候|酉ノ四月頃》 一右同村 三九郎
一大野村 長三郎 一右同村 長吉《割書:是も波丹ニ而あや|まちニ相果申候|戌年春頃》
一半田村 五郎蔵《割書:是は波丹ニ而女房を持彼地ニ残り申候|》
一右同村 兵三郎
都合十五人乗内内十壱人帰国仕候
右之者共女房之内に婿入抔致候者も有之候法事抔も
心掛ケ候者も御座候泣暮す中にも神子山伏ハ赴又ハ口よせ
候に浅 母(ま)しや海ニ沈ミて鰐之餌食と成浮むせもなき
啊責のせめに逢ひ候抔と申或ハ一家之者共煩ひ候得ハ
流船之死霊がつき候と申祈祷祈念に物入せし所ニ来ル
十九日ニ御触状廻り皆々迎にて参との旨ニ而夢現とも
無く嬉敷何れも十方に暮候有様ニ而神子山伏とも
面目も無之有様也我家へ帰て三年之うさを言ふも
語るもつきせず候せめてかなしき物語り末々世に残
さんとて西口村七兵衛と申者と同村長右衛門と申者両人
にて波丹之容子委細に語らせ書留申候以上
寛文八申年ゟ寛政八丙辰年迄
百弐十九年と云々