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コレクション: 学校教材発掘プロジェクト 5 江戸名所図会

江戸名所図会 20巻 巻之16 - 翻刻

江戸名所図会 20巻 巻之16 - ページ 45

ページ: 45

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【右丁】  傍(かたはら)に一宇(いちう)の草庵(さうあん)を結(むす)ひ芝崎 道場(とうしやう)と号(かう)す《割書:当寺(たうし)の|権輿(けんよ)なり》其後(そののち)あまたの星霜(せいさう)を  経(へ)て慶長(けいちやう)年中 神田明神(かんたみやうしん)は駿河台(するかたい)へ遷(うつ)され当寺は柳原(やなきはら)のもとに地を  賜ふ又 明暦(めいれき)の頃(ころ)今の地にうつる《割書:寺僧(しそう)云(いは)く往古よりの由緒(いうしよ)によりて今も隔年(かくねん)九月十五日|神田明神(かんたみやうしん)祭礼(さいれい)執行(しゆけう)の時は当寺より上人以下 衆僧等(しそうら)社(しや)》  《割書:頭(とう)に至りて誦経念仏等(しゆけうねんふつとう)種(さま)〳〵の修法(しゆはふ)ありて後(のち)神輿(みこし)を渡(わた)したてまつるを恒例とする事今に至りてしか|りとそ当寺住職(とうししうしよく)其阿(こあ)上人は柳営(りうえい)御連歌(おんれんか)の御連衆(これんしう)たり》 光明山(くわうみやうさん)天嶽院(てんかくいん) 遍照寺(へんせうし)と号す日輪寺(にちりんし)の西(にし)に隣(とな)る浄社(しやうしや)の法崫(ほうくつ)にして天正  年中 善空(せんくう)上人 草創(さう〳〵)す開山(かいさん)は円蓮社満誉(ゑんれんしやまんよ)上人と号(かう)せり本尊(ほんそん)手嶋観世(てしまくはんせ)  音菩薩(おんほさつ)は唐仏(とうふつ)にして順徳帝(しゆんとくてい)建保(けんほ)年中 相州(そうしう)鎌倉(かまくら)鶴岡(つるかをか)の社僧(しやそう)良真僧都(りやうしんそうつ)  入宋(につそう)の時 育王山(いわうさん)能仁寺(のうにんし)より将来(しやうらい)せる尊像(そんそう)なりしを其後(そののち)豊太閤(ほうたいかう)の幕下(はくか)  津田勝重(つたかつしけ)といへる者 此像(このそう)を感得(かんとく)す息(そく)元重(もとしけ)伊賀国(いかのくに)手島(てしま)と云 所(ところ)に至る頃(ころ)此  霊像(れいそう)の告(つけ)によりて群賊(くんそく)の蜂起(ほうき)を治め武威(ふい)を国中(こくちう)に振(ふる)ひぬ依(よつて)人民(しんみん)伏(ふく)して  手島殿(てしまとの)と称(しよう)す其後 元重(もとしけ)当国(とうこく)に趣(おもむ)きし頃(ころ)故(ゆへ)ありて当寺(たうし)に収(おさ)む則 寺(し)  内(ない)に手島元重(てしまもとしけ)の墳墓(ふんほ)あり当寺(とうし)旧(もと)は浅草橋(あさくさはし)のうちにありしか明暦(めいれき)  回禄(くはいろく)の後(のち)此地に移(うつ)る 【左丁】 一心山(いつしんさん)称往院(しょうわうゐん) 同 西(にし)に隣(とな)る捨世寺(しやせいし)と号(かう)す浄土宗(しやうとしう)にして本尊(ほんそん)阿弥陀(あみた)  如来(によらい)は丈六(ちやうろく)の座像(ささう)にして恵心僧都(ゑしんそうつ)の作(さく)なり脇(わき)に観音勢至(くはんおんせいし)の二菩薩(にほさつ)を  安置(あんち)す開山(かいさん)は幡蓮社白誉称往(はんれんしやはくよしようわう)上人《割書:姓(せい)は飯田氏(いひたうち)下(しも)の野州(やしう)|宇津宮(うつのみや)の人なり》当寺(たうし)昔(むかし)は小田原(をたはら)  にありしか慶長(けいちやう)年中 当国(たうこく)へ移(うつ)され湯島(ゆしま)に地(ち)を賜(たま)ふ後(のち)復(また)今の地(ち)に  引(ひか)れたり捨世一派(しやせいいつは)常行念仏(しやうきやうねんふつ)の道場(たうちやう)にして殊勝(しゆしよう)なり《割書:当寺(たうし)に円光大師(ゑんくわうたいし)|月影(つきかけ)の御影(みゑい)といふあり》 薬王山(やくわうさん)東光院(とうくわうゐん) 同く西(にし)に隣(とな)る医王寺(ゐわうし)と号(かう)す天(てん)台にして東叡山(とうえいさん)に属(そく)す本(ほん)  尊(そん)瑠璃光如来(るりくわうによらい)の像(さう)は仏工(ふつこう)春日(かすか)の作(さく)なり伝云(つたへいふ)慈覚大師(しかくたいし)当寺(たうし)を草創(さう〳〵)  ありしとそ往古(そのかみ)は顕密二教(けんみつにけう)ともに弘(ひろま)りて台宗(たいしう)一百八箇寺の総本寺(そうほんし)たり  中古(ちゆうこ)太田道灌(おほたたうくはん)此 霊像(れいさう)を崇敬(そうきやう)し江城(こうしやう)の鬼門(きもん)に置(をき)又(また)其後(そののち)慶長(けいちやう)年中日光  御門主(こもんしゆ)一品尊敬法親王(いつほんそんきやうはふしんわう)山門(さんもん)無動寺(むとうし)の松林坊賢海法印(しようりんはうけんかいはふゐん)に仰(おほせ)て再興(さいこう)せし  む  神祖(しんそ)其時(そのとき)院主(ゐんしゆ)に命(めい)ありて江城(こうしやう)長久(ちやうきゆう)の御祈禱(おんきたう)として正五九月に大般若経(たいはんにやきやう)転(てん)  読(とく)せしめらる《割書:此 例(れい)今(いま)に至(いた)つてしかり慶長(けいちやう)の頃迄(ころまて)は常盤橋(ときははし)の北(きた)にありしか其後(そののち)小伝馬町(こてんまちやう)へうつさる其地(そのち)|をさして今(いま)も猶(なを)薬師堂前(やくしたうまへ)といへり浅草(あさくさ)の地(ち)へ寺(てら)を移(うつ)せしは明暦回禄(めいれきくはいろく)の後(のち)なり》