翻刻
永禄十年丁卯五月四日 《割書:九龍|朱印》
三原 衆
室町氏末上野為群雄必争之地武士就草津温泉療瘡痍者多暴
武田氏依村民情下令逐客此巻即是蓋方争乱之世則我輩固不
得来沿於此而村民亦無以浴為生可見我輩與村共是浴於昇
平之澤者非浴泉之澤也
癸未八月書於草津客次
細川 潤
豊太閤温泉行先触 《割書:編者|所蔵》
くさつゆ道御とまり所々
大津より 御ふちかた東至てまへ
一八まん山へ 九里
御ふちかたなかとてまへ
八まん山より 御蔵米
一さは山へ 六里
御ふちかたなかとてまへ
さは山より 御蔵米
一大がきへ 九里
御ふちかたふる田兵部の
大かきより せうてまへ 御蔵米
一きふへ 五里
きふより 同てまへ 御蔵米
一かなやまへ 十里
かな山より 同てまへ 御蔵米
一ときへ 五里
【以下 下段】
御ふちかたいし川兵さう
ときより てまへ 御蔵米
一おちあひへ 八里
御座所いなは右京
せき次兵衛
御ふちかたいし川兵さう
おちあひより てまへ 御蔵米
一のしりへ 七里
御座所両ゑんとう
かなもり
御ふちかたいし川兵さう
のしりより 御蔵米
一ふくしまへ 六里
御座所同兵さう持
御ふちかのたいし川兵たう
ふくしまより 御蔵米
一もと山へ 八里
六