翻刻
等に見へたり亦本編記載の古文書に因り考ふるも足利氏
の治世には最早温泉場と成居しことなるべし
一 本編記載の事項に就き或遺は増補すべきことは逐次改正記
入すべし
一 明治九年試験の分析表及気候表は附録として追て刷出すべし
一 編者元来癡鈍浅薄にして觚を繰りしは最烏滸なれども世人の礦泉
を誤困する者太た多きを患ふる婆心黙し難く孟浪を顧みずして
本編を草したるものなれば杜撰の譏笑は固より甘受する処なりと
雖も病客幸に之を恕し却て教を吝まざらんことを希望す
編 者 誌
一名
草津温泉誌 入湯手引草
六々生著
礦泉発見並沿革
騏驥夜光必ず伯楽下知を待ち奇境勝区必ず碩人名士を待ち
然る後ち其名天下に著わる抑も本地霊泉の如きは将に何人
を待て著るゝや古諺相傳ふ磯城瑞籬宮の朝に方り建見原命
東国を歴遊し始めて此泉を発見すと或は曰く元正帝養老年
間行基尊者の検出する所と未た孰が是なるを知らず且上古
綿邈置て論せずして可なり源右大将の浅間岳に猟するや分
営を岳後上毛三原に置く 《割書:往古吾妻郡西北部を|総称して三原の荘とす》時に土豪細