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翻刻
【右丁白紙】
【左丁】
△ 樫尾
綱昌公御代延宝五丁巳年被召出
当樫尾又左衛門尭貞《割書:本国不知 生国越前|姓不知》
父樫尾又左衛門尭知ト申者幼少之時分加賀国ヨリ当国
エ罷越以後 光通公御代被召出其後 寂光院様御縁辺
之節御附人ニ被 仰付松平信濃守様御屋敷ニ二十ケ年
許相勤年罷寄願申上御国エ罷帰候処御捨扶持被下剃髪
仕恵休ト号罷有以後相果候如右幼少ニテ他国ヨリ罷越
候ニ付先祖之儀不相知候
現代語訳
【右丁白紙】
【左丁】
△樫尾
綱昌公の御代、延宝五丁巳年(1677年)に召し出された
当代樫尾又左衛門尭貞《本国不明 生国越前|姓不明》
父樫尾又左衛門尭知という者は、幼少の時分に加賀国から当国へ参り、その後光通公の御代に召し出された。その後、寂光院様の御縁組の際に御付人を仰せ付けられ、松平信濃守様の御屋敷で二十年ほど勤めた。年を重ねて願い申し上げ、御国へ帰った際に御捨扶持を下賜され、剃髪して恵休と号していたが、その後亡くなった。このように幼少で他国から参ったため、先祖のことは分からない。