翻刻
【右丁】
《割書:いひし也 妻は後に長成院と|いひ左京大夫但馬守等の母これ也》彼藤吉 秀吉次第に歴上つて
織田殿一方の大将になされ播磨国給り羽柴筑前守と
名のる長政そのゝち弥兵衛と申て織田殿につかへしか
彼秀吉か手に属られたりもとより長政秀吉の 相聟
なりし程に羽柴か家第一にて 彼家の事 大小となく
つかさとる織田殿うせ給ひて秀吉たちまちに天下の
権をとり内大臣の正一位して関白職に任し家の奉行
職五人を置長政を上首とし叙爵させ弾正少弼に
任し 禁裏仙院政行の事を執しむ これよりさき
天正十一年長政近江国勢田の城を賜ふ《割書:系図を考ふるに|太閤はしめ近江の》
【左丁】
《割書:長浜にましませし時長政坂本の城を領せしと見へし世に 伝ふる所は|長政播州網干の地三千石を領しそのゝち宇治槙の島にて二万石 次は》
《割書:若狭国九万三千石を領し|其後甲斐国に移しといふ》同き十四年秋関白の御妹徳川殿
に参らせ給ふ時長政して送らる此年徳川殿御上洛
の時長政饗応の事をつかさとりて御旅館に伺公す
是よりして後徳川殿の申次を承る 関白島津を伐
給ふ時は大隅国にむかひ北条をほろほし給ふ時は武蔵の
国にむかふ此時殿下駿河の国府に至らんとし給ひしに
石田治部少輔 三成御耳につきて家康北条にむすほゝれ
たる中也いかなる謀やあらんすらんかれか城に入給はん事は
しかるへからすととゝめ申すけにもと思召気色にて馬を