翻刻
【右丁】
さらはまいらせんとて秀吉にゆつる秀吉悦ふ事限り
なく此城に移す孝高宍粟の郡を給りて山崎の城に
あり秀吉山陰山陽の合戦より始て志津か嵩小牧筑紫
の軍に至まて孝高戦功数をしらす同き十五年七月
豊前国六郡の地を賜同十七年孝高四十五歳その
子長政に家をはゆつり其後小田原名古やの陣に随ひ
朝鮮に押渡て軍の掟す子息甲斐守長政十四歳
にして父と同しく三木の軍にたつて初て首をとる
十六才の時父に 随つて 和泉国岸和田の城に後巻し
紀伊国雑賀根来の者共と戦ひ首をきる事二ッ天正十五年
【左丁】
筑紫の合戦に財部日隈芳切山観音原の戦をはしめ
て犬山の城を攻をとしうちとる所一千五百余人賀来福
島等の城を攻おとす関白の御感浅からす朝鮮の軍に
さきかけして金海昌原を破り上城平安に戦ひ白川
の城を守る 凡七年か間所々の戦にうちとる首数
何万といふ事をしらす《割書:黒田父子の武功は林道春かえらみし長政の|碑の銘につまひらかなり今大略をとる》
太閤薨し給ひし後 朝鮮の事終り 長政等小西寺沢
等か功をあらそふてうつたへ起り軍奉行の輩流刑に処
せらる慶長四年の春秀頼の奉行人徳川うしなひ
参らせんとて大坂伏見の間以の外に騒動す黒田か父子