翻刻
【右丁】
しかは此年十一月筑前国を賜《割書:五十二万|五千石》筑前守になさる
同き九年三月廿四日孝高入道六十九歳にして卒す
同十八年長政従四位下に叙す初め大坂の兵起し時関東
に留りふたゝひ兵起しかは将軍家に属奉る元和九年
閏八月四日卒す五十六歳其子侍従兼筑前守忠之母は
大御所の御養女也忠之十一才にして慶長十七年駿河の
国府に参り十二月十八日 大御所の御前にて元服す
《割書:此時御刀二腰 御鷹|御馬等を下されたり》十八年正月廿一日関東に くたり 初て
将軍家に参る 御家号 ゆるされ 御諱字 たまひ
右衛門佐従五位下になさる《割書:此とき御刀 ことし給る○一説に御家号|給りしは慶安元年 十二月 廿 八日》
【左丁】
《割書:の事と有|ふしん》同二月従四位下に叙す大坂の兵起りし時本国に
あつて身煩ふ事甚し病をつとめて馳上る両御所の
御感なゝめならす父卒して家をつき《割書:四十三万|二千石余》寛永三年
八月侍従兼筑前守に 任す同十五年の春肥前国島原の
城を攻てせめ落し同十八年鍋島と共に 長崎の事を
承る承応三年二月十二日五十二歳にして卒す子息侍従
兼右衛門佐光之寛永廿年十二月廿九日元服し御諱字
賜ひ《割書:御刀を|給ふ》従四位下右衛門佐になされ家つきし年
十二月侍従に任す嫡男 筑前守綱之はしめ寛文
九年十二月元服し御諱字を給ひ従四位下の守に任す