翻刻
ス、」慶長十四年、島津氏其不貢ヲ征セシヨリ、徳川氏更
ニ琉球ヲ島津氏ニ賜ヒ、其臣属トス、爾来、国王嗣立ノ
時ハ、幕府ノ教ヲ以テ、島津氏之ヲ封ジ、乃チ恩謝使ヲ
来シ、又将軍襲職ノ時ハ、賀慶使ヲ来ス、共ニ王子(ワウジ)ヲ正
使トシ、親方(オヤカタ)ヲ副使トシ、従者数十人、大抵ハ鹿児島ヲリ
九州西海ヲ廻リ、下ノ関ヨリ大坂伏見ヲ過ギ、美濃路
ヨリ、東海道ヲ歴テ、東都ニ至ル、官ヨリ駅馬ヲ給ス、来
朝、多クハ冬月ナリ、芝ノ薩邸ヲ旅館トス、登城ノ日ハ、
《割書:往復、外桜田ノ薩邸ニ於テ、冠服|ヲ装束ス、俗ニ装束屋敷ト云、》明服ヲ用ヒ、正使ハ王
服ニ擬ス、副使賛議官以下、儀衛音楽ヲ用ヒ、島津侯之
ヲ率ヒ、重臣兵士護衛ス、将軍巳ノ刻ニ、大広間ニ面ス
《割書:長袴ヲ|着ス、》献物ハ、大抵太刀、駿馬、寿帯香、竜涎香、香餅、太平
布、芭蕉布、青貝卓、羅紗、縮緬、泡盛等ナリ、正副使モ亦進
献アリ、後、再ビ日ヲ期シ、登城シ、散楽ノ宴ヲ賜ハル、又
初メハ、使臣、必ズ日光山ヘ詣スルヲ例トセシガ、宝永
七年ヨリ、日光ヲ止メ、上野ノ東照宮ヲ拝スルヲ例ト
ス、又滞都中ハ、幕府ヨリ米二千俵ヲ給セシト云、帰国
ノ時ハ、島津侯、又率テ登城ス、大広間中段ニ、賜物ヲ列
シ、正使 次(ツギ) ̄ノ間(マ)ニ坐ス、閣老、台意ヲ伝ヘ、次ニ三(サン) ̄ノ間(マ)ニテ、正
使ニ賜物ヲ伝フ、大抵、国王ニ白銀五百枚、綿五百把、正
使ニ銀二百枚、時服十枚、其余ニ銀三百枚ヲ賜フト云、
国王ノ奉書ハ、松平薩摩守内中山王某ト書シ、閣老ニ